2022年5月10日 (火)

blog記念日

2006年の5月10日、そう今から16年前の今日、ボクはこのブログを始めた。

今日はその記念日だ。

 

試しに16年前の5月にアップした記事をいくつか読んでみた。

 

そこには今と同じ自分がいるし、今のボクよりもナイーブな昔の自分がいる。

 

救いだったのは、昔の自分はもしも街角で出会ったら、たぶん友だちになれそうなタイプの男性であったこと。

 

書き始めた頃は、何かが終わることを予感しているものの、本当に訪れた嵐のことは知らないでいる。

 

たくさん翻弄されて、ある時凪が訪れて、今に繋がる道が現れた。

 

その道を十年ほど歩いて、今日にたどり着く。

 

そんな感じがする。

 

不思議な感覚をボクにもたらしてくれた今年のblog記念日だ。

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2022年4月 1日 (金)

4月1日 あるいはウクライナ侵攻について

TVは新コロナの話題からウクライナ侵攻の報道一色となった。新コロナの脅威を報じるTVは対象をウクライナ侵攻に切り替えて、難民や戦火の犠牲となったウクライナの人々の苦難を映し出す。それらは見ていて苦しい。見ていると、こちらの心がやられてしまいかねない。新コロナにもウクライナ侵攻にも口を挟むゲストやコメンテーターは、少数の知見ある専門家を除いて好き勝手なことを語っている。やれやれ。

ボクはあまりにも世界情勢に無知であったことに気がついた。

おそらく平和ボケといっていい位無知だった。

そこでTVはほどほどにして新聞や映画、ドキュメンタリーで学ぶことにした。

「プーチン」「スターリン」「ウクライナ」「ヒトラー」等の検索ワードで、優秀なドキュメンタリーをNETFLIXで観ることができた。

「プーチン」については彼のライフヒストリーと世界政治で行ってきた事からわかることがたくさんあった。

「スターリン」からはソ連の近代化・工業化が「ウクライナ」の犠牲のもとになされたことを知った。

「スターリン」と「ヒトラー」からは情報戦、プロパガンダによって真実を都合のいい現実につくりかえる方法について学んだ。「トランプ」のしていることはその延長線に位置づけられると思えた。

そして戦争。スターリングラードでナチスドイツがしたこと。スターリンがしたこと。市民が被ったこと。それらのことは皮肉にもウクライナで行われている歴史の皮肉。

ウクライナの人々の近代史を読み解けば、今のウクライナの人々の思いに近づける気がした。

 

すでに困ったことになっている戦争が、取り返しのつかない困った事態とならないように祈る。

歴史の中で繰り返し独裁者が辿った道を、新たな独裁者が辿るのか否か、見守る。

 

そうやって4月1日を迎えた。

 

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2022年1月12日 (水)

東京駅のホームにて

村上春樹さんの「多崎つくる」くんのように、ホームで列車の運行状況に身体を震わせているのではない。

ただ寒いだけだ。

ボクはそんな寒さの中で悟った。

 

この仕事を続けていこうと。

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2021年8月 9日 (月)

TOKYO2020

オリンピック期間中は、オリンピックのロゴが刺繍してあるシャツを着て仕事に行きにくかった。

そのロゴをみて相手がどのような反応をするにしろ、しないにしろ、そのようなことを考えること自体煩わしかった。

だから、オリンピックが終わったら、そのシャツを着ていこうか。

パラリンピックが終わる9月5日(日)。

9月6日(月)に着ていこうか。

そんなことを考えるのは、このニッポンでボクひとりだろうか?

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

しかし考えるのは自由だ。

その自由を尊重しよう。

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2021年2月 6日 (土)

天使について

天使について語ります。

 

週末クルマでファミレスに行った。その時駐車場で少女が倒れたママチャリとママチャリとの間に挟まれてもがいているのが見えた。クルマを止めて少女の傍に行った。小学生の低学年だろうか、ほっぺを赤く染めて倒れたママチャリを起こそうとしているが絡まって上手くいかない。「君の自転車なの?」。少女は頭をふった。風で倒れていたから。強風でなぎ倒されていたママチャリを、自分の自転車でもないのに、起こしてあげようとして、奮闘している少女が、この日本にはいる。いや、きっと世界中にいるのだろう。自分の欲得とは関係ないところで、何とかしようと頑張っている天使たちよ。「君は、いい子だねぇ」「おじさんがチカラを貸そう」。一緒に沢山のなぎ倒されたママチャリを元に戻していった。一緒に、と書いたけれど、ほとんどが大人のボクのチカラだ。大人にはやすやすとできることだ。けれど、天使がそこにいなければ、ボクは倒れたママチャリを放置していたにちがいない。

天使降臨。

君のおかげで、この世界はまだ希望に満ちてあることを知る。邪悪なものに打ち勝つには、清らかな魂に自らを洗う必要があるのだろう。損得や自分の立場の正統性を主張する人々は、強風でなぎ倒された自転車置場で奮闘している少女、いいえ、天使に膝まづいて教えを乞うがいい。世界は見ている。これを記さなければ、ボクしか知らなかったこと。しかし、ボクを大きく動かしたこと。少女にこう告げた。「君は、本当に いい子だね」。

天使が、戸惑うようにして、はにかんだ。

2015年の2月3日。それは火曜日だった。この文章をSNSに書いた日。

今思えば、自分にとってかなり大変な時期だった。

そんな時に、ボクはその一人の少女に精神的に励まされたのだった。

このようなことを忘れないために。

世界には、このようなたくさんの天使が今の苦しい世界を生きている。

この世界が、いまだ希望に満ちてあると、今のボクもまた信じる。

いや、信じるために、ボクは今夜この記事をここに記しているのだろう。

倒れた自転車を、誰もみていなくても直していく人に、ボクもなろう。

 

 

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2021年1月16日 (土)

緊急事態宣言と米国議会襲撃

1月6日と7日に起きたこと。

自分は歴史の中で生きている。そう感じた。

緊急事態は、おそらく秋口から年初にかけてのことを云う。

気づかなかったことこそ、緊急事態だ。

たくさんの感染機会が量産された。陽性者の数字はその結果だ。

議会襲撃は4年以上の歳月をかけ醸成されてきたムーブメントだ。

TVのニュースより、ネットの良質な情報にふれ、驚くべき事態が起きたことを知る。

突然起きた訳ではない。

では緊急事態は?

それもまた突然起きた訳ではない。

 

緊急事態を宣言するというその言葉が、どんどん軽くなってきている。

言葉が軽くなり、誰も耳を傾けないのかもしれない。

耳を傾けるに値する言葉が語られていないのかもしれない。

しかし、とボクは思う。

そんなことはどうでもいい。

この世界を生き延びるために、自分で自分の言葉と行動原理を模索するしかない。

生き延びた先に、歴史は書かれるのだ。

おそらく歴史の中でこそ問われるだろう。

生き延びることを、ひっそりとマイルーティンを守りながらやっていこう。

自分と自分の大切な人々と共に。

自分のコントロールできる小さな世界の中で。

それが大いなる世界につながるものだと信じて。

 

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2021年1月 2日 (土)

2021 一月二日

例年は あけましておめでとうございます という言葉で一年をはじめてきた。

 

元旦に久しぶりにこのブログを書こうと思い、その言葉を記してみて、あまり自分の気持ちにしっくりこないということに気がついた。

確かに新年は明けたが、おめでたさは中ぐらいのおらが春 という感じか。

 

きっと「おめでたい」ことはこれからやってくる。

 

その時までは、今のようなグルーミーな日々を過ごしていこう。ただし日々をグルーミーと思わないように認識を変えていく試みは続けていきたい。

日常のささやかな喜び、自然の移ろいの中で垣間見える美しい光、それらを大切にして生きていこう。

 

日々の仕事を淡々とこなす。その大切さに気づいた。人はどうにもならない歴史の流れにその身を流されながらも日々を少しでもコントロールしようとする。コントロールしようとしてできないことがあったとしても、コントロールしようとしていることが大切なのだ。

 

ダッチロールしていても、墜落しないようにする意志の形態が大切なのだ。

 

そのようなことを、箱根駅伝をみながら、iPadで記した。

 

年越しのトーキョーFMの村上RADIOを、ネットのradikoで元旦に聴いた。

最初に流れた『ニューシネマパラダイス』の愛のテーマが、心に染み入るように響いた。

新年のはじまりだ。

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2020年8月 8日 (土)

「お金に稼いでもらいませんか」

土曜の午後に、金融機関から営業の電話がかかってきて、こんな言葉が電話の向こうから聴こえた。二十代のその女性と面識はないが耳許でその台詞を聴いた時に思わず出た言葉があった。

「自分が稼いでるのでいいんですよ」

大人げないかもしれない。しかし自分らしいリアクションだと思った。

お金に稼いでもらうつもりのない自分がいる。

二十代の女性がもしもお金に稼いでもらったことがあるとしたら、もっと働いて稼ぎなさいと説教するだろうか。

儲け話は、向こうからやってこない。

そして、ボクはネギを背負ったカモでもない。

ずる賢いカラスかも。

先の読めない時代だ。

土曜日に電話をかけてくる相手の労を労い電話を切った。

そうやって生きている相手もまた一所懸命に仕事しているのだ。

仕事で稼いでいるのだ。

 

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2020年7月28日 (火)

四連休の過ごし方から学ぶこと

四連休の後の月曜日を有休にしたので、ボクは五連休を過ごしたことになる。この休みを自分なりにどのように過ごそうかと考えていた。ひとつはたっぷり休むこと。どのようにすれば「たっぷり休む」ことができるかを考えた。そして編み出したのは、予定を入れない過ごし方をしてみようということだった。例えばクルマのエンジンオイルを替えよう、とかタイヤのローテーションをしようとかいうこと。梅雨明け前に済ましておきたいことだったが、今回の休みでは先送りした。お休みの朝に自発的にしようと思うことをする。それは散歩であったり読書であったり、食材を買いに行くことであったり、日常の延長に位置づけられるちょっとしたことだ。そしてお昼寝も含めて睡眠をたっぷりとる。観葉植物に水をやったり、窓から雨模様やたまに出る青空を観察することをした。

村上春樹さんの最新短編集『一人称単数』を読み終えたことが唯一の成果かもしれない。

この頃巷に流行ること、テレビをつければどの局もオンエアしていることは、無視した。テレビで流すことの情緒から遠ざかることがボクにとってのゴートゥーキャンペーンだ。

そのようにして五日間を過ごして今日は仕事です。

おそらくボクはエッセンシャルワーカーなので、どこにも行かずにこのように過ごすことがリフレッシュする過ごし方なのだろう。

 

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2020年7月25日 (土)

不要不急のお買い物

エッセンシャルオイルがそろそろなくなりかけてたので、無印良品に散歩がてら寄った。

新しいエッセンシャルオイルを二種類購入し、ぶらぶら店内を散歩してると、インテリアフレグランスセットが目に止まり衝動買いしてしまった。

そして買う必要もないルームサンダル(インド綿)を買ってしまった。

インド職人がひとつひとつ手作業で作り上げたものが数百円。

そんなことがあっていいのか。

湘南とインドのみえない点と線がつながった。

必要のないものばかりを購入し、ほっこりとした気持ちで土曜日の午前中を過ごす。

ここには不要不急の自由があった。

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