2023年12月12日 (火)

ビジネススクールに入る

今週末からビジネススクールに通うことにしました。夏には地元藤沢の商工会議所で開催された創業塾で約3ヶ月学んだけれど、自分のキラーコンテンツが明確になるところまで辿り着けませんでした。

自分のプランを相談できる相手が必要でした。

思いきって高額の授業料を支払い、これから1年間、新たに事業化に取り組んでいこうと思います。

沢山の書籍も買い勉強しましたが、自分がこれであれば成功するであろうという確信がほしいです。本には上手く行くことが沢山書かれていますが、私の欲しいのは、ロジカルに駄目だしする専門家です。

学んできて、起業の専門家というのは実は少ないことに気がつきました。指導を仰ぐ方の成功体験と失敗体験で専門家であるか否かを判断することをお勧めします。

どこまで出来るかわかりませんが、もうルビコン川を渡るところまで来ました。

渡るのみです。

| | コメント (0)

2023年5月20日 (土)

5月はブログを始めた記念の月です。

今から18年前の2006年、5月10日にボクはこのブログをはじめました。

18年前・・・。

18年の歳月は、今にして思うと、すごい歳月でした。

おそらく、このブログ「ダーリンのコーヒータイム」の中に、ボクのおそらく大切にしてきたかなりのことは記録されているように思います。

ココログさんから六か月更新していませんよと、メールが届きました。

後、六か月更新しなければ、更新できなくなりますよ・・・というお知らせつきで。

悲しいことですが、事実は事実です。

広告つきの自分のブログをみると、少し哀しくなります。

それでも、こうして書いているところをみると、愛着があるのです。

この間、新しいブログをつくりました。

それにはサーバー代もかかるし、ドメインも購入し、デザインも何もかも自前で少しお金がかかりましたが、つくりました。

広告は今のところつきません。少なくともボクのしらないところで広告はつきません。

 

もしよかったら、そちらものぞいてみてくれませんか?

https://sncareer.net/

『転機の技法』

そんな名前のブログです。

「ダーリンのコーヒータイム」は、そのまま生きていきます。

なぜならば、このブログが生みの親だからです。

これからも、よろしく。

 

 

| | コメント (2)

2022年11月16日 (水)

交感神経と副交感神経と

私たちは自分自身の身体のことをよく知らない。

例えば、交感神経と副交感神経のことなども。

簡単に言えば、攻撃するか逃走するか。

あるいは、木陰でゆったり昼寝を楽しむか。

仕事をしていて、ストレスを感じない人がいたら、慶賀の至りか、あるいは周囲にストレスを振りまく人なのかーいずれにせよ仕事とストレスは姻戚関係にあるとみていいだろう。

ながらくそんな親しい関係のストレスに、気がつかないうちに侵食されていたとしたら。

どこかで身体は悲鳴をあげる。

その悲鳴に気がつかなかったとしたら、さらにタチが悪い。

身体にダメージが不意にやってくる。

 

そんな経験を最近したボクは思う。

 

な~んにもボクは知らないのか、と。

 

反省と共に、学びを。

 

人間の身体は奥が深い。

 

 

 

| | コメント (0)

2022年11月12日 (土)

新海誠さん 『すずめの戸締まり』

11月11日がボクの誕生日で、新海誠さんの新作『すずめの戸締まり』の公開日であったので、夕方の上映時間を調べて観に行った。

ボクにとって、新海誠さんは、この日本で、いやこの世界で最も注目しているアーティストのひとりであって、彼の新作を観ないという選択肢はない。

そして観て良かった。

夕方のシアターには、地元の高校生が大勢詰めかけていた。男子高校生がとても多く、もちろん女子高校生も、デートらしいカップルも見受けられた。シアター内の彼らの雑談のウェーブが映画がはじまると静まり、映画の終わりには凝集した沈黙と集中で静謐なものにかわっていた。

 

映画をこれから観る人々にネタバレをしたくないので、内容にはふれない。

 

あえてアドヴァイスしてもいいこととしては、一種のロードムービーとして観ると作品世界の構造性がつかみやすいと思われることだ。

 

新海誠さんは、おそらくこの作品で作家としてのピークを迎えていると思われる。

その難しいテーマをこのような形で作品にまとめ上げるには、知力 体力 気力の充実が必要だろう。

大人の若さがなくては創れない力作である。

 

ボクは何度か涙を拭った。

それは感動の涙というよりも、この涙はどこから来るのだろう?という不思議な涙だった。

声なき死者の声を、作者たちがスクリーンに出現させたからだろうか。

美しい日本の風景と災異の風景と。

 

一回観て理解し消費する映画ではないので、また観に行くことだろう。

 

そしていつか今の高校生が社会に出て大人になった頃、この映画について語れればいいなと思う。

 

ー『そうやって君は生きてきたんだね』

ボクはその時、まだ会っていない映画を観た相手に語るのだろうか。

| | コメント (0)

2022年11月11日 (金)

11月11日 誕生日の青空

ココログさんからメールが来ていて、「6ヶ月間ブログの更新がありませんね」というお知らせだった。

ーはい。すいません。

なので久しぶりにブログ記事を書くことにした。

今日の青空。

それを引用して、誕生日のお祝いメッセージを友人が送ってくれた。

そのお礼をショートメッセージで返信した。

友人の引用してくれた今日の青空を、このブログを書き終わったら撮影しようと思った。

この青空のように、曇りない思いで人生を生きたいものだ。

地上で繰り広げられる戦争。

地上に蔓延る疫病。

それらのことから、ボクたちは何を学ぶべきなのか?

戦争については、人間の欲望や愚かさを、この21世紀になっても人類は克服できていないことを感じる。

「その領土は俺のもんだ」「だから大人しくこちらによこせ」・・・ということか。

そんな泥棒を捕まえる術がない。

ましてや飛び道具をちらつかせて脅す。

やれやれ、こんなことを、この青空のもとで書くつもりはなかったのだが。

そのような世界でも、今日の青空は広がる。

 

ボクはボクらしいストリームラインを描いて、この青空を飛行しているだろうか?

 

雨の日、嵐の日にも、この世界には青空が広がる時があることを忘れないように、これから撮る写真をスマホに保存しておこう。

 

その写真は、ボクにとってボクから贈るプレゼントだ。

 

希望。

 

それを見失わないためのプレゼントにしよう。

| | コメント (0)

2022年5月10日 (火)

blog記念日

2006年の5月10日、そう今から16年前の今日、ボクはこのブログを始めた。

今日はその記念日だ。

 

試しに16年前の5月にアップした記事をいくつか読んでみた。

 

そこには今と同じ自分がいるし、今のボクよりもナイーブな昔の自分がいる。

 

救いだったのは、昔の自分はもしも街角で出会ったら、たぶん友だちになれそうなタイプの男性であったこと。

 

書き始めた頃は、何かが終わることを予感しているものの、本当に訪れた嵐のことは知らないでいる。

 

たくさん翻弄されて、ある時凪が訪れて、今に繋がる道が現れた。

 

その道を十年ほど歩いて、今日にたどり着く。

 

そんな感じがする。

 

不思議な感覚をボクにもたらしてくれた今年のblog記念日だ。

| | コメント (0)

2022年4月 1日 (金)

4月1日 あるいはウクライナ侵攻について

TVは新コロナの話題からウクライナ侵攻の報道一色となった。新コロナの脅威を報じるTVは対象をウクライナ侵攻に切り替えて、難民や戦火の犠牲となったウクライナの人々の苦難を映し出す。それらは見ていて苦しい。見ていると、こちらの心がやられてしまいかねない。新コロナにもウクライナ侵攻にも口を挟むゲストやコメンテーターは、少数の知見ある専門家を除いて好き勝手なことを語っている。やれやれ。

ボクはあまりにも世界情勢に無知であったことに気がついた。

おそらく平和ボケといっていい位無知だった。

そこでTVはほどほどにして新聞や映画、ドキュメンタリーで学ぶことにした。

「プーチン」「スターリン」「ウクライナ」「ヒトラー」等の検索ワードで、優秀なドキュメンタリーをNETFLIXで観ることができた。

「プーチン」については彼のライフヒストリーと世界政治で行ってきた事からわかることがたくさんあった。

「スターリン」からはソ連の近代化・工業化が「ウクライナ」の犠牲のもとになされたことを知った。

「スターリン」と「ヒトラー」からは情報戦、プロパガンダによって真実を都合のいい現実につくりかえる方法について学んだ。「トランプ」のしていることはその延長線に位置づけられると思えた。

そして戦争。スターリングラードでナチスドイツがしたこと。スターリンがしたこと。市民が被ったこと。それらのことは皮肉にもウクライナで行われている歴史の皮肉。

ウクライナの人々の近代史を読み解けば、今のウクライナの人々の思いに近づける気がした。

 

すでに困ったことになっている戦争が、取り返しのつかない困った事態とならないように祈る。

歴史の中で繰り返し独裁者が辿った道を、新たな独裁者が辿るのか否か、見守る。

 

そうやって4月1日を迎えた。

 

| | コメント (0)

2022年1月12日 (水)

東京駅のホームにて

村上春樹さんの「多崎つくる」くんのように、ホームで列車の運行状況に身体を震わせているのではない。

ただ寒いだけだ。

ボクはそんな寒さの中で悟った。

 

この仕事を続けていこうと。

| | コメント (0)

2021年8月 9日 (月)

TOKYO2020

オリンピック期間中は、オリンピックのロゴが刺繍してあるシャツを着て仕事に行きにくかった。

そのロゴをみて相手がどのような反応をするにしろ、しないにしろ、そのようなことを考えること自体煩わしかった。

だから、オリンピックが終わったら、そのシャツを着ていこうか。

パラリンピックが終わる9月5日(日)。

9月6日(月)に着ていこうか。

そんなことを考えるのは、このニッポンでボクひとりだろうか?

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

しかし考えるのは自由だ。

その自由を尊重しよう。

| | コメント (0)

2021年1月16日 (土)

緊急事態宣言と米国議会襲撃

1月6日と7日に起きたこと。

自分は歴史の中で生きている。そう感じた。

緊急事態は、おそらく秋口から年初にかけてのことを云う。

気づかなかったことこそ、緊急事態だ。

たくさんの感染機会が量産された。陽性者の数字はその結果だ。

議会襲撃は4年以上の歳月をかけ醸成されてきたムーブメントだ。

TVのニュースより、ネットの良質な情報にふれ、驚くべき事態が起きたことを知る。

突然起きた訳ではない。

では緊急事態は?

それもまた突然起きた訳ではない。

 

緊急事態を宣言するというその言葉が、どんどん軽くなってきている。

言葉が軽くなり、誰も耳を傾けないのかもしれない。

耳を傾けるに値する言葉が語られていないのかもしれない。

しかし、とボクは思う。

そんなことはどうでもいい。

この世界を生き延びるために、自分で自分の言葉と行動原理を模索するしかない。

生き延びた先に、歴史は書かれるのだ。

おそらく歴史の中でこそ問われるだろう。

生き延びることを、ひっそりとマイルーティンを守りながらやっていこう。

自分と自分の大切な人々と共に。

自分のコントロールできる小さな世界の中で。

それが大いなる世界につながるものだと信じて。

 

| | コメント (0)

«「お金に稼いでもらいませんか」