2021年2月 6日 (土)

天使について

天使について語ります。

 

週末クルマでファミレスに行った。その時駐車場で少女が倒れたママチャリとママチャリとの間に挟まれてもがいているのが見えた。クルマを止めて少女の傍に行った。小学生の低学年だろうか、ほっぺを赤く染めて倒れたママチャリを起こそうとしているが絡まって上手くいかない。「君の自転車なの?」。少女は頭をふった。風で倒れていたから。強風でなぎ倒されていたママチャリを、自分の自転車でもないのに、起こしてあげようとして、奮闘している少女が、この日本にはいる。いや、きっと世界中にいるのだろう。自分の欲得とは関係ないところで、何とかしようと頑張っている天使たちよ。「君は、いい子だねぇ」「おじさんがチカラを貸そう」。一緒に沢山のなぎ倒されたママチャリを元に戻していった。一緒に、と書いたけれど、ほとんどが大人のボクのチカラだ。大人にはやすやすとできることだ。けれど、天使がそこにいなければ、ボクは倒れたママチャリを放置していたにちがいない。

天使降臨。

君のおかげで、この世界はまだ希望に満ちてあることを知る。邪悪なものに打ち勝つには、清らかな魂に自らを洗う必要があるのだろう。損得や自分の立場の正統性を主張する人々は、強風でなぎ倒された自転車置場で奮闘している少女、いいえ、天使に膝まづいて教えを乞うがいい。世界は見ている。これを記さなければ、ボクしか知らなかったこと。しかし、ボクを大きく動かしたこと。少女にこう告げた。「君は、本当に いい子だね」。

天使が、戸惑うようにして、はにかんだ。

2015年の2月3日。それは火曜日だった。この文章をSNSに書いた日。

今思えば、自分にとってかなり大変な時期だった。

そんな時に、ボクはその一人の少女に精神的に励まされたのだった。

このようなことを忘れないために。

世界には、このようなたくさんの天使が今の苦しい世界を生きている。

この世界が、いまだ希望に満ちてあると、今のボクもまた信じる。

いや、信じるために、ボクは今夜この記事をここに記しているのだろう。

倒れた自転車を、誰もみていなくても直していく人に、ボクもなろう。

 

 

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2021年1月16日 (土)

緊急事態宣言と米国議会襲撃

1月6日と7日に起きたこと。

自分は歴史の中で生きている。そう感じた。

緊急事態は、おそらく秋口から年初にかけてのことを云う。

気づかなかったことこそ、緊急事態だ。

たくさんの感染機会が量産された。陽性者の数字はその結果だ。

議会襲撃は4年以上の歳月をかけ醸成されてきたムーブメントだ。

TVのニュースより、ネットの良質な情報にふれ、驚くべき事態が起きたことを知る。

突然起きた訳ではない。

では緊急事態は?

それもまた突然起きた訳ではない。

 

緊急事態を宣言するというその言葉が、どんどん軽くなってきている。

言葉が軽くなり、誰も耳を傾けないのかもしれない。

耳を傾けるに値する言葉が語られていないのかもしれない。

しかし、とボクは思う。

そんなことはどうでもいい。

この世界を生き延びるために、自分で自分の言葉と行動原理を模索するしかない。

生き延びた先に、歴史は書かれるのだ。

おそらく歴史の中でこそ問われるだろう。

生き延びることを、ひっそりとマイルーティンを守りながらやっていこう。

自分と自分の大切な人々と共に。

自分のコントロールできる小さな世界の中で。

それが大いなる世界につながるものだと信じて。

 

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2021年1月 2日 (土)

2021 一月二日

例年は あけましておめでとうございます という言葉で一年をはじめてきた。

 

元旦に久しぶりにこのブログを書こうと思い、その言葉を記してみて、あまり自分の気持ちにしっくりこないということに気がついた。

確かに新年は明けたが、おめでたさは中ぐらいのおらが春 という感じか。

 

きっと「おめでたい」ことはこれからやってくる。

 

その時までは、今のようなグルーミーな日々を過ごしていこう。ただし日々をグルーミーと思わないように認識を変えていく試みは続けていきたい。

日常のささやかな喜び、自然の移ろいの中で垣間見える美しい光、それらを大切にして生きていこう。

 

日々の仕事を淡々とこなす。その大切さに気づいた。人はどうにもならない歴史の流れにその身を流されながらも日々を少しでもコントロールしようとする。コントロールしようとしてできないことがあったとしても、コントロールしようとしていることが大切なのだ。

 

ダッチロールしていても、墜落しないようにする意志の形態が大切なのだ。

 

そのようなことを、箱根駅伝をみながら、iPadで記した。

 

年越しのトーキョーFMの村上RADIOを、ネットのradikoで元旦に聴いた。

最初に流れた『ニューシネマパラダイス』の愛のテーマが、心に染み入るように響いた。

新年のはじまりだ。

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2020年8月 8日 (土)

「お金に稼いでもらいませんか」

土曜の午後に、金融機関から営業の電話がかかってきて、こんな言葉が電話の向こうから聴こえた。二十代のその女性と面識はないが耳許でその台詞を聴いた時に思わず出た言葉があった。

「自分が稼いでるのでいいんですよ」

大人げないかもしれない。しかし自分らしいリアクションだと思った。

お金に稼いでもらうつもりのない自分がいる。

二十代の女性がもしもお金に稼いでもらったことがあるとしたら、もっと働いて稼ぎなさいと説教するだろうか。

儲け話は、向こうからやってこない。

そして、ボクはネギを背負ったカモでもない。

ずる賢いカラスかも。

先の読めない時代だ。

土曜日に電話をかけてくる相手の労を労い電話を切った。

そうやって生きている相手もまた一所懸命に仕事しているのだ。

仕事で稼いでいるのだ。

 

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2020年7月28日 (火)

四連休の過ごし方から学ぶこと

四連休の後の月曜日を有休にしたので、ボクは五連休を過ごしたことになる。この休みを自分なりにどのように過ごそうかと考えていた。ひとつはたっぷり休むこと。どのようにすれば「たっぷり休む」ことができるかを考えた。そして編み出したのは、予定を入れない過ごし方をしてみようということだった。例えばクルマのエンジンオイルを替えよう、とかタイヤのローテーションをしようとかいうこと。梅雨明け前に済ましておきたいことだったが、今回の休みでは先送りした。お休みの朝に自発的にしようと思うことをする。それは散歩であったり読書であったり、食材を買いに行くことであったり、日常の延長に位置づけられるちょっとしたことだ。そしてお昼寝も含めて睡眠をたっぷりとる。観葉植物に水をやったり、窓から雨模様やたまに出る青空を観察することをした。

村上春樹さんの最新短編集『一人称単数』を読み終えたことが唯一の成果かもしれない。

この頃巷に流行ること、テレビをつければどの局もオンエアしていることは、無視した。テレビで流すことの情緒から遠ざかることがボクにとってのゴートゥーキャンペーンだ。

そのようにして五日間を過ごして今日は仕事です。

おそらくボクはエッセンシャルワーカーなので、どこにも行かずにこのように過ごすことがリフレッシュする過ごし方なのだろう。

 

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2020年7月25日 (土)

不要不急のお買い物

エッセンシャルオイルがそろそろなくなりかけてたので、無印良品に散歩がてら寄った。

新しいエッセンシャルオイルを二種類購入し、ぶらぶら店内を散歩してると、インテリアフレグランスセットが目に止まり衝動買いしてしまった。

そして買う必要もないルームサンダル(インド綿)を買ってしまった。

インド職人がひとつひとつ手作業で作り上げたものが数百円。

そんなことがあっていいのか。

湘南とインドのみえない点と線がつながった。

必要のないものばかりを購入し、ほっこりとした気持ちで土曜日の午前中を過ごす。

ここには不要不急の自由があった。

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2020年7月24日 (金)

村上春樹さんの「一人称単数」を読むことについて

八篇ある短編集の五編まで、読んでしまった。あと三編しかないではないか。

いつも村上春樹さんの小説を読む時に、もう終わってしまうのか、いや終わってほしくない・・・というアンビバレンツな気持ちになる。

それが職業的作家のチカラというものだろう。

ボくにとって村上春樹さんは批評の対象ではない。なので、この文章には何ら批評的な部分はない。

ただボクがこの時期に、村上春樹さんの最新短編集を読んでいるだけだ。

この短編集は、「不要不急」のものかもしれない。

いやそうではないかもしれない。

2018年から2020年までに「文學界」に発表された短編小説七つに、書き下ろしの短編「一人称単数」が加えられた。

今の日本で、文學界なるものがあるのかどうか知らないが、村上春樹さんほど文學界に相応しくない作家も珍しい。

何だかひねくれた批評的な文章に近づいてしまったみたいなので、ここらへんで書くのをやめよう。

ボクはハルキストではない。

しかしボクの一部は村上春樹的だ。

長く人生を共にしてきた作家に、乾杯。

 

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2020年7月23日 (木)

海の日 その過ごし方

世界中でいろいろなことが起こり、この時代がこのようなことになるとは誰も思わなかった2020年。

四連休ならば海に山へと計画を立てておかしくない時に、行動の自由に制約を覚える。

空も重い雲が垂れこめて、暗い朝を迎えている。

 

4時ごろボクは起きた。

今日が「海の日」であっても、何も計画せずただただ何もしない1日にしようと思っていた。

買ったばかりの村上春樹さんの最新短編集「一人称単数」の二番目の短編「クリーム」を読んだ。

ボクにとっての「人生のクリーム」は何か?

それを考える「海の日」になるかもしれない。

それは答えのない設問と思考なので、夜にはそんなことを忘れているかもしれない。

今日読むべき本はもう一冊。

ユヴァル・ノア・ハラリの「21 Lessons」。

「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を今一度振り返る思考の旅になるかもしれない。

そうか。

行動の自由は制約されているが、思考の自由に制約はないわけだ。

そのことを「海の日」の6時半に気づいてよかった。

 

今日は村上さんとハラリさんの本を交互に読みながら、ぼんやりと過ごす日にしよう。

そう決めた。

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2020年1月 5日 (日)

おめでとうございます 2020年

明けましておめでとうございます。

誰も読まない。

そんな前提でブログを書き始めています。

しかしこの記事を読む「あなた」に対しては 礼を尽くして 「おめでとうございます」。

そうお伝えしたいのです。

そうやって、2020年は始まりました。明日は 仕事始めです。

◾️

2019年は、どのような一年であったのか?

次男坊は「漂流」の一年であったそうです。

ふむふむ。

次男坊の漂流記は、父親たるボクなりに 成る程 と合点がいく感じで、その「漂流」がいい渚にたどり着いてよかったねと云えて良かった。

それでは、ボクは?

うむ。

大変だったが、何とか乗り切った一年であった。そんな感じでしょうか。

どのように大変であったか?

それを語る場ではない。

しかし、このブログというステージにおいて、その大変さは、ボクにとって意味がある大変さであって、少なくとも職業的に安定した一年、仕事に支えられた一年であったと云える。

 

十二月、師走に転居しました。

新しい年を、新しい場所で始められるように。

◾️

新しい旅が始まります。

あなたもまた。

あなたの新しい2020年に、幸多からんことを!

 

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2019年8月 9日 (金)

支援のチカラ

キャリアコンサルタントとして仕事をして七年が経過し、面談数も一万回を超えた今。今まで見えなかった光景をみることができるようになった。今ボクは山麓にいるのではない。登山道を登りはじめて額(ひたい)の汗を拭って小休止する。見渡せる光景が目の前に広がる。その光景に心奪われる時。山腹の登山道にボクはいる。昨日のことだ。自分自身にとって極めて辛い体験を午前中にした日。午後からいつもの業務についた。今日来るクライエントがいる。35度を超える気温。あるいは来ないかもしれない。ボクはどちらだろうか考えていた。淡々と仕事しているとそのクライエントが来た知らせを受けた。来たのか。来てくれた訳だ。およそ人生において困難な道を歩いているクライエント。まだ若く経験は乏しい。しかしもうすでにボクは何をすべきか潜在意識の中でわかっていた。一言で言えば、前に向かって一歩一歩進めるよう支援すること。言葉に託せば「ささやかな希望」の大切さ。日常の戦場で戦えるチカラ。いつもよりゆったり時間をとって話を聴き話をした。そのセッションを終える間際にボクの口から思わぬ言葉が出た。「ボクも今日辛いことがあったけれど、君を支援することでパワーを貰えたよ」。その時クライエントの瞳が輝くのをみた。人が一番癒されるのは、自分以外の人のためにチカラを尽くすことなのだ。自分自身を忘れ取り組むこと。大人はみんな辛いことを抱えながら涼しい顔をして生きている。そんな人間をオトナと呼ぶかもしれない。別れ際そのクライエントは呟いた。「プロ・・・ですね」。クライエントがボクを支援するチカラ。ありがとう。人生でかなり辛い一日が一瞬にして静謐な一日に変わった瞬間。

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