「L.A.コンフィデンシャル」の魅力
金曜の夜は「L.A.コンフィデンシャル」にはまってしまった。映画館でみてから何回みただろう。ほとんどパーフェクトの傑作。
原作のジェイムズ・エルロイのいかがわしくも暗い魅力を見事に映像に展開している。キム・ベイシンガーも麗しい(アカデミー助演女優賞)。
ケビン・スペイシー、ラッセル・クロウ、ガイ・ピアーズ他、役者も素晴らしい。L.A.という街が本当の主人公だが、この虚飾の街を彩る面々の魅力が街を支えている。
銃撃場面で、凍てついた緊張が、テーブルからビンが落ちるきっかけでカタストロフィを迎え、凄惨な銃撃戦になるあたり、何度見ても「映画」が横溢してる。短い台詞、役者の反応、全てにプロの仕事を感じる。
実は、この映画の前座として、「夜明けのマルジュ」(1976)と「個人教授」(1969)を見た、早回しで。映画は生もの。劣化が激しかった。フランス映画の欠点をみた気分だった。映像に寄りかかって造られ過ぎている。
「夜明けのマルジュ」は、昔映画館でみてた。「個人教授」も同じ。記憶にある名場面は、やはり名場面だった。けれども観客たる自分の方が、映画を超えてしまったのかも。
世界戦略商品ー映画はまず商品として組立てられる。性についての映画も、青春映画も既に「商品」単体としては成立しなくなっているのかもしれない。
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