構造主義で組み立てられた自分
大学で仕事する機会に恵まれ、毎日大学へ行くのが楽しい。というのも図書館と学食は僕のサンクチュアリに等しいから。仕事の合間に施設を利用できるというのがなによりうれしい。
お昼休みに本を狩猟する。『図解雑学 構造主義』という簡易本を哲学書の書架で発見。通読。僕が大学で洗礼を受けた思想にその後の自分の人生が支配されていることに気がついた。
ロラン・バルト(1915-1980)というフランスの文芸評論家を当時敬愛していて、そのバルトの思考が自分の土台になっていることに、我ながら驚いた。記号論を判らぬままに読んでいたのが、すっかり血肉と化している。若さ恐るべし。
簡単に言えば、「文学テクストを規定しているのは作者の意志ではなく、作者も知らないテクスト構造」であって、「人間の文化全体が読解されることを待っている大きなテクスト」であるという考え方である。
ロラン・バルトは、確か日本を<表象の帝国>と呼んで愛し、そして何より映画を愛していた。
自分の中にバルトが生きていることを知って、とてもうれしかった。
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