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2006年6月 5日 (月)

映画「ヒトラー~最後の12日間~」

もうすぐドイツでワールド・カップが始まります。

Vfsh0043 1945年、そのドイツの独裁者ヒトラーの最後の状況を、実在した女性秘書の視点から描いた映画を観た。劇映画というより、記録性を重んじる造り方に好感を覚えた。

第二次世界大戦を舞台にした戦争映画をたくさん観てきて、アドルフ・ヒトラーだけは映画の世界でもある種、タブー視され続けてきたと感じてきた。このヒトラーの出現によって、第二次世界大戦では5000万人を超える死者と600万人のユダヤ人が収容所で殺害されている。

勤勉で優秀といわれるドイツ人が何故かくのごとき第三帝国の幻想に支配されたのか、本当に理解を超えることだ。しかし日本もまた違う形で軍国主義に染まり戦争への道を歩んだのである。だから歴史を過去と片付ける訳にはいかない。

この映画には賛否両論あった。しかし観終わってみて、最後のヒトラー総統秘書(実在の女性)自身の歴史的誤りを自ら問う思いが底流に流れていると判る構成(映画を最後まで観れば、それが伝わる造り方になっている。)から、この映画が現在のドイツ国民に対して悪夢を、消し去りたい過去としてではなく、未来のために問い正すために描かれた、と判る。

極東の首相が任期の花道として世界を外遊し、国内の観光地を視察し、有名人に会い、オペラを観劇し、相撲を観戦し「感動した!」と言い、近隣諸国と氷のような冷ややかな関係を残して去っていく事を思えば、大人と子供のような歴史観の差を感じる。

かって、イスラエルは世界中・地の果てまで戦犯を追い続けて、ナチスのユダヤ人虐殺(ホロコースト)の罪を贖うべく活動したが、本当の歴史は永い歳月の中で書かれていく。

年間三万人以上の自殺者が八年間も連続記録更新する極東の繁栄国家に、僕たちは生きている。年間三万人以上という死者の数が、ヴェトナム戦争で10年間に戦死したアメリカ海兵隊の約三倍に相当することをアメリカに忠実な政治家であるなら、知っているだろう。それともヒトラーのように弱い国民が死ぬのは当然と、開き直るであろうか。

現世的なご利益、グローバル・スタンダードを追求する幻想から、目を醒ましてみれば、こころ貧しいその日暮らしの、夢のない社会を僕らはいつも間にか手に入れてしまったかもしれない。

もう人のせいにするのではなく、自らできる事をして、少しでもこころ豊かな未来を、僕たちは目指さなくては、とそんな事を考える。

この映画の最後に、歴史の証言者たちが続々と物故している事実を知った。

まだ若い僕たちは、まだまだ世界に対してすることがある。歴史はこれから書かれていく。

その歴史を、名もない僕たちが、結局は書くことになるだろうから。

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