「天国で君に逢えたら」-ハワイの思い出
ガンで亡くなられた飯島夏樹氏の奇跡のラブストーリー「天国で君に逢えたら」の最後の舞台は、オアフ島のカイルア・ビーチでした。
昨年2月28日に38歳という若い命で天に召された。「良き者は先に逝く」-そんな言葉が脳裏をよぎる。webで公開されていた彼最後の連載エッセイは2月19日に途絶えた。それは“命の記録”となり「ガンに生かされて」(新潮社)という書名で出版された。
blogを毎日おそるおそる開けてた記憶、時折新潮社のHPのサーバーがdownしかかった苦々しい思い出など、もう過去のこととして忘れてしまえばいいのに。・・・しかし僕は忘れない。
その年の1月、オアフ島を息子と旅した。ダイビングの好きな僕は、12歳の息子にスノーケリングの手ほどきをしようと思い、オアフ島のビーチを幾つかリサーチした。
ワイキキからクルマで行き来できるビーチとして、カイルアを選んだ。隣接してラニカイ・ビーチがあった。後でラニカイは天国に近い美しいビーチと称されているのを知った。
そこで過した時間は、僕の人生で過ごしたどの時間よりも天上的だった。息子と共にそこで過した“天国の日々”。そこで僕が教えた技術は、自分の命を自分で守る技術だった。ダイバーは海がいかに偉大で人知の及ばない存在かを知る。僕たちは機嫌のいい時の海に遊んでもらってるに過ぎない。自分の命は自分で守らなくては。息子に命を守ることを自ら教えられる幸せを、僕はカイルアとラニカイで噛み締めた。
飯島さんの小説は彼の死後に読んだ。彼は元プロのウインドサーファーだったから、海のことはおそらく誰よりも知っていた。僕自身が息子に命を守りながら海に抱かれる手ほどきをしたその地を、飯島さんは自身の小説の最後に配置していたのを初めて知った。
印象的な光景だった。海を見下ろせる丘陵に、老夫婦が終日海を見ながら日光浴を楽しんでいた。男性の手が夫人に伸びたまま、二人はいつまでもそうしていた。
「ガンに生かされて」(P.159)に飯島さんはこう書き残している。
ー僕は今、天国とこの世界のちょうどボーダーラインを歩いている。命のことは神の領域。・・・(中略)・・・人の幸不幸は、人生の長さじゃない。人が生まれるのも奇跡なら、天に上るのもまた奇跡。
僕が人生の終局に配置する最も強力な願望は、自分で撮った老夫婦の姿が、僕ら夫婦の姿そのものに置換わるイメージである。その時、大人に成長した息子たちに僕たち夫婦の後姿を撮影してもらえたら、と想像する。
ハワイの自然には、そんなことを瞑想させる力がある。
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