恋愛映画館
恋愛小説家(と呼んでいい?)の小池真理子氏の本を、図書館で借りた。映画の本のコーナーに寄って、反射的に借りた一冊です。
本の装丁は手に取る時の、重要なポイント。次にタイトル。「恋愛映画館」・・・か。いかにも小池氏らしい。女性誌「with」で連載された「忘我のためいき 私の好きな俳優たち」がまとまって、エッセイ集になった。
例えば、わが愛する師匠ーロバート・デ・ニーロの項を読む。「それとはわからないほどのかすかな狂気の気配。歪んだ感情の渦、世界と相容れない人間のもつ、冷え冷えとした孤独感・・・。」
さすが、作家だ。うまいことをいう。
アラン・ドロンに隠しようのない卑しさをみたり、ジャーロット・ランプリングに衰えていくことにおける耽美性をみる。藤竜也に「とことん文句なく男の肉体」をみるあたり、作家とは正確な見方をする生き物ではなく、独断と偏見に満ちた見方を正確に表現できる存在なのだと思わせる。
こういう映画本は、まだ出会っていない映画との出会いを演出してくれるので、とても好きだ。
小池真理子氏はそのあとがきで、軽井沢の自宅で原稿を書き終えて、深夜お酒と煙草を用意して観るビデオやDVDの至福を書いていた。
うむ。わかるなあ。
小説家という生き物は、妄想を紡ぐような仕事をするのだろうから、映画の向うから、さまざまな感情や仕草が、作家の感受性に働きかけてくるのが栄養となるに違いない。結局、映画を語ることは、その人自身を語ることになる。
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