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2006年7月11日 (火)

村上春樹とスタン・ゲッツと

村上春樹がジャズ喫茶「ピーター・キャット」を経営してたのは1974年(25歳)から81年(32歳)まで。77年に国分寺から千駄ヶ谷に店を移した。一度だけ友人と千駄ヶ谷のお店に行ったことがある。

79年に「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。81年までの約3年間、そのどこかの一日。村上春樹がスノッブに注目され始めた頃で、既にお店は結構混んでいた。

村上春樹は同じ大学の同じ学部学科の先輩だったので、面識はないのに親友と僕は興味を持っていた。

お店のカウンターに座った僕は見てはいけないものを見た気がした。昼間から恋人とワインを飲む女性が静かに涙を流してた。ロングヘアの大人びた女性。距離5m位離れた処で。悲しいから、という理由ではなくワインの酔いが涙腺の安全ピンを引き抜いてしまった、みたいな涙。表情は穏やかだった。連れの男性のことは全く記憶にない。店内に流れていたJazzのことも。

今日の昼休み、図書館で本を読んでたら、突然女性の嗚咽する声が聞こえてきた。顔を上げてみると10mくらい向うのテーブルで、女の子がハンカチで口を押さえていた。

いろいろな処でドラマは生れ、そして時は過ぎていく。

彼の『1973年のピンボール』で主人公の「僕」は1951年のスタン・ゲッツが最高のジャズ・バンドだと絶賛してる。なぜゲッツか?それはゲッツが麻薬とアルコールに蝕まれながらも、彼の音楽が天使のような優しさを失うことが一度もなかったから。村上春樹はスタン・ゲッツこそ「ジャズ(the Jazz)」なのだと語る。

僕は村上春樹の影響でゲッツを聴いてる訳ではないけれど、彼が「天使のような優しさ」と喩えたことを今日知ってうれしかった。彼と同じ森の住人ではないにしても。

今日の昼食はカニあんかけチャーハン+春雨中華サラダ。〆て780kcal。400円也。

この大学ともまもなくお別れ。正門脇の守衛さんが深く挨拶してくれ、図書館の女性司書が黙って挨拶してくれる。お別れしなければならないのが、ちょっと寂しい。

僕は今でも静かに涙を流せるだろうか。

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