W杯敗戦処理「W文春」vs.「W新潮」
前回に引続き、二大週刊誌の紙面比較ーもう一つのW杯。W文春vs.W新潮(各06.7.6最新号)執筆者のIQ戦。
●W新潮(全4頁):特集「大本営発表」にダマされ続けたW杯」
匿名原稿/Concept/マスコミの「大本営発表に騙された国民。
執筆方針:関係者、ジャーナリスト氏(新潮用語)、某スポーツ紙記者のコメント引用と報道各紙の見出しの引用による。
最後の1文:「代表一同もマスコミも、自分を見失って、呆然とする国民・・・・・・。苦い歴史ほど繰返されるのである。」(引用おわり)
金子達仁・特別寄稿/Concept/なぜ日本は敗れたか?筆者自らに問いかけ、敗戦の最大の原因を日本人のメンタリティにみる。
執筆方針:ドイツにおいてサッカーを判断する重要な要素のひとつ「ツヴァイ・カンプ」(直訳:二人の戦い」)でみる日本選手。1:1を避け続ける処にドリブルを仕掛け失敗する恐怖を推測。そこから日本の減点主義、指導法、欧米コンプレックスへと推論する筆者の思考。
最後の1文:「あの中田英寿の涙が、無益な涙として忘れられないことを、切に祈る」(引用おわり)
■勝敗:W文春の「圧勝」。というか新潮は引潮なのか。
講評:週刊新潮は一般人にはマスコミの一角。他紙見出しを引用し匿名諸氏のコメントを引用して最終的にマスコミ報道で道を誤る国民というコモディティ化された結論では、到底お金を払って読む原稿ではなかろう?記事は最前線に出向いて足で書くべし。ペンは剣より強し。それに新聞せいぜいTVまでの守備範囲では困る。web上取交わされたW杯情報との接点を持たない執筆者の将来に懸念を覚えた。デジタル・デバイドに晒される週刊誌原稿のメンタリティを知りたければ参考になる。
週刊文春は署名原稿の姿勢に好感。金子達仁氏の特別寄稿は客観的な事実を積み重ね、自ら敗戦の原因を突き止めようとする思考が持続して記事を構成。参加32カ国中唯一、二度の逆転負けを喫した日本チームの2006.6.22を日本サッカー界における1945.08.15と位置づけた。ひとつの時代の終わりをみた。彼は最後に「血の涙は、痛恨の教訓として活かされてこそ意味を持つ」という言葉を残す。共感。
本来ならば勝負にならぬレベルでのVS。大勢の目にふれるマスコミ、しかもサッカー専門誌でなく一般誌におけるW杯の記録を記憶に留めておきたくて敢えて行った。
無知の涙を流さぬよう。僕らは知性を磨いて4年後に希望を。
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コメント
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日本の報道機関は、このワールドカップ期間中。浮かれていますが、根本的な日本サッカーをどう導いていくのかについて、余りいい材料は、与えてくれませんでしたね。
投稿: 冬の日 | 2006年7月 4日 (火) 13時40分
冬の日さんへ
中田が引退声明をnakata.netで行ったことと、決断を下すプロセスにおいて直接ファンから届いたmailを全部読んでファンの気持ちを酌んだあたり、全く新しいモデルで意思決定がなされてる点が中田らしいです。
マスコミや報道機関は、彼のブログを後追いしてるに過ぎず、場合によってはファンの方が早かったかもしれません。
これは情報における流通の排除ー中抜きです。
マスコミやジャーナリストは、この点をしっかり認識しないと、将来のオマンマに影響を及ぼす転換点を、自ら無知なままで通過することになるでしょうね。
革命前夜。
いままでのあぐらをかいた報道では受け手が離れ、結果として広告収入も減り・・・というデフレスパイラルに入る可能性があると思います。
自分たちが中田に食わせてもらってるくらいの自覚は持つべきだと僕は思います。
投稿: チャーリー | 2006年7月 4日 (火) 19時49分