「映画評論家」を「評論する」
映画「レディ・イン・ザ・ウォーター」が酷評されてるので、この作品の擁護もかねて、「映画評論」を「評論する」ことを思いついた。
テキストは「週刊文春」(10月5日号)。そのP134.連載名:<シネマチャート>。この欄では五つ星・・・もう最高!ぜひ見て!!、四つ星・・・一食ぬいても、ぜひ!、三つ星・・・料金の価値は有り、二つ星・・・暇だったら。一つ星・・・損するゾ、きっと。そのような評価がくだされる。
今回は「カポーティ」と「レディ・イン・ザ・ウォーター(LITW)」の二作品を5人の映画評論家・文筆家が一刀両断する。アカデミー賞受賞作「カポーティ」が五つ星を取ったのに比べてLITWは三つ星が最高評価だった。以下評価順に概況を紹介するとー。
☆☆☆・・・品田雄吉氏(映画評論家)。芝山幹郎氏(翻訳家)。斉藤綾子氏(作家)。
品田氏・・・いろいろ手の込んだ仕掛けあるサスペンスもので面白くみせるが「怪物」がチャチなのにがっがり。芝山氏・・・撮り方が泥臭い。閉じた空間にガスが充満する感じで笑ってしまう。斉藤氏・・・ゲーム好きにはたまらない。監督の評論家嫌いも笑える。プライス・ダラス・ハワード(ストーリー役)の膝の裏の形の美しさに惚れ惚れ。
☆☆・・・中野翠氏(コラムニスト)。脚本が悪すぎる。巧い役者たちが哀れに見える。
☆・・・おすぎ氏(映画評論家)。シャマランには何度も騙されたし今度もまた。他愛のない緩いお伽話。映画にする必要もない。
■「映画評論」を「評論する」。
その映画のメイン・ターゲットがどの層かを自覚すべき。F1、F2など細分化されたカテゴリーでなくとも良い。大人なのか子供なのか親子連れなのか、ホラー狙いなのか程度でも。この「レディ・イン・ザ・ウォーター」、映画の売り方(マーケティング)を排除し映画の本質的な造り方からみると、親子で観る映画。もしくは子供たちに観せたい映画である。シャマランもお客が入らなければタマランから間口は広くとってある。そしてこれはホラーではない。シャマランが自分の子供に語って聞かせた御伽話の映画化である。ファンタジー。
品田氏が、面白いけれど「怪物」がチャチだと感じたのは、この幼児にもみせたい映画のレベルからすると当たりかも。この映画は絵本や御伽話を信しる年齢の子供から楽しめるように造られてる。残酷なシーンはない。撮り方が泥臭いと仰る芝山氏はクリストファー・ドイルという撮影監督をおそらく知らない。知ってたらドイルの華麗な映像テクニックが何故抑制されてるかを一考するはず。クリストファー・ドイルを知らずに映画評論する馬鹿はいない。一番、映画眼があるのは斉藤氏。この映画の本質をすべて見てとってなおかつ女優起用の秘密にまで肉薄した。作家の眼力は鋭い。
中野氏もまた子供という視点を外したご感想。子供に見せたいか否かがこの映画の評価には必要。
一番酷いのは、おすぎ氏。子供のこころを失った大人にはこの映画は映画化する必要もないと映るとは。もうシャマランは見ないでいい。映画化に値しない、という映画評論には恐れ入る。天に唾を吐くという言葉がありますが映画の神さまは怒りますぞ。傲慢にも程がある。
◇
15歳の息子が感動した。少年のこころに残る映画をつくったシャマランを僕は応援したいと思った。主人公のひとりポール・ジアマッティーは「シンデレラマン」のトレーナー役に続いて好演。
大人のイノセンスを見せてくれた。それを大人は「哀れ」で「笑ってしまう」ような「緩くて」「他愛もない御伽話」と呼ぶかもしれないけれど。
観てよかった。僕たち親子にとっては最高だった。
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