水曜の朝、午前三時
「45歳の若さで逝った翻訳家で詩人の四条直美が、娘のために遺した4巻のテープ。
そこに語られていたのは、大阪万博のホステスとして働いていた23歳の直美と、外交官として将来を嘱望される理想の恋人・臼井礼との燃えるような恋物語だった。
「もし、あのとき、あの人との人生を選んでいたら…」。
失われたものはあまりにも大きい。
愛のせつなさと歓びが心にしみるラブストーリー。」(引用終り)。
久しぶりに恋愛小説を読んだ。人に勧められた。映画化したらどうか?という視点で読んだ。
映画では1970年の大阪万博をきちんと再現すべきだ。失われた時代の微熱を背景としてる処が面白い。時代そのものの視覚化がほしい。この話の恋は現代の恋よりも制約が多いし、だからこそ恋情が持続するという部分がある。
福永武彦の『草の花』を思い出した。
戦中派の福永氏は死を覚悟した。『草の花』にはその深みがある。『水曜の朝、午前三時』の絶望はそれ程深くない。むしろ恋の甘い香りにひかれて読み進められる。だからこそベストセラーになったのだろう。
『水曜の朝、午前三時』の良さはメロドラマとしての純度。
今の時代の恋は・・・?いろいろな恋があるだろうけど、いまでも恋はゲームじゃなくて生きることなのだろうか?
どうも恋は魂(たましい)の空域から、ファッションや心理や経済の海域に移動し始めてる気がする。
exchangeable(交換できる)な、損得を軸とした経済水域にある恋は、賞味期限もきっと早いのだろう。
その方が魂は傷つかない。痛みもまた少ない。想い出にも残らないはず。
| 固定リンク
コメント