あるある 捏造 の心
TV局も最初は、モノ造りの会社だったはず。社会から少しはみ出した人たちのモノ造りの力が面白い番組をつくる原動力だっただろう。
けれど会社が成長するにつれ、モノ造りという心臓部は管理しずらい部分なので、外部に委託していった。その方が制作費を叩ける。手を汚さなくていいし、金額も絞れる。TV局は利益もだせる。給料も良くなる。
そういう中で出世する人々が会社の上層部に上る。そういう人々の心は、リーマンの心。
現場は過酷。しかしスーツを着て、会社の中で算盤を、人生の算盤をはじいたりして生きてきたのだろうか。
本当の経営なら、商品である映像のマネジメントをすることが大切なはず。下請けを悪者にしてる者の方が悪い。下請けと共に、高給の社員もモノ造りに入るべきなのに。
あるあるは、関連商品(DVD、書籍)を含めると、年間40億円の売上高だったという。うそで固めた商品を売りつけることを、世の中では詐欺商法と呼ぶ。
そのような会社は過酷な制裁を社会から受ける。
でもあま~い処分で、よかったね。日本人ハヤサシイネ。サラリーマンだもの。長い眼でみればTVの盛衰の歴史の分水嶺になる事件。
モノ造りを忘れると、空洞化し腐敗するという教訓を、示してくれて、本当にありがとう。
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コメント
「あるある」より酷い捏造報道問題を、TBSが今必死になって隠蔽しようとしています。
TBSの不二家に対する捏造報道をぜひ知ってください。
不二家の不祥事は厳しく批判されて当然です。
しかし、やってないことまででっちあげられ「廃業してもらいたい」とまで言われたのでは、不二家の従業員とその家族があまりにかわいそうです。
お願いします。
投稿: あ | 2007年4月 4日 (水) 12時28分
筑紫さんが「TBSは死んだ」と言った時に、やはりTBSはほとんど死んでしまったのかもしれません。すると今のTBSはゾンビ=生ける屍ということになります。
もしまだ完全にゾンビ化していなくて、「民放の良心」と呼ばれた頃の気概が少しでも残っていたら、TBSは自戒して民法の中で真っ先に悔い改め、改革の先鋒に立って立ち直ってくれると思います。
その希望にわずかにすがりたい気持ちもあります。
そうなってくれたら、この国の未来にもすこし希望が持てるかもしれない。
TBSはやっぱり死んでいるのか、そうではないのか。
これはこの国に希望があるかどうかの重要な試金石になるかもしれません。
投稿: arriba | 2007年4月 4日 (水) 22時16分
TBSというと、昔社会人になりたての頃にかかわった「オーケストラがやってきた」という番組のことを思い出します。
電電公社と富士重工の提供で、日曜日の午前十時の放送だったと記憶・・・もう遠い記憶です。
毎回、公開録画で、会場にはクラシックを愛する老若男女が詰めかけてくれました。
小沢征爾さんやテレビマン・ユニオンの人々。なにやら今の時代にはない熱気がありました。
それから、いまは亡き実相寺昭雄氏。ウルトラマン・・・。
なにやら日本の熱い季節を思います。
将来、森ビルと同じようにTBSが不動産事業を事業の柱にするかもしれません。けれど、テレビマンの良心だけは忘れずにいてほしいものですね。
投稿: チャーリー | 2007年4月 5日 (木) 01時00分