時津風部屋と相撲協会よ さようなら
自分のblogに、汚らわしい事件の話はタブーとしてきた。人の好奇心や刺激的な話題でアクセスを得たくない。逆に人をほっとさせる話題を地道に書いていたい。読む人が限られていようとも。
この世界は素晴らしい、そういうことに共感したい。この難しい世の中で、一服の清涼剤となりたい・・・そう思って、このblogを続けてきた。
けれど、今回の時津風部屋の所業、そして相撲協会の対応には絶句した。
十七歳の青年の命は奪われた。
火葬にして返そうとしたとは。それは許しがたい。人間のすることではない。
しかし相撲協会の理事長は「激しい稽古」と主張してる。ビール瓶で殴るのが稽古なのか?社会はそれを「リンチ」と呼ぶ。
犬死せしもの。日本人は許さない。
さらば相撲協会。
天罰が下る・・・そう思わずして、遺族が救われようか。
愚かな、あまりに愚かな所業に絶句する。
■
休んでないボクは疲れて、午後に半休を申請した。
帰路に着き、座席が空いたので座った。すると乳飲み子を抱えた若いお母さんが乗ってきた。・・・そんな時、神様はいつもボクを試す。
皆寝たふりをしてる。
一瞬躊躇した。けれど、ちょっと離れてたボクは、席を譲った。
ボクが親切なのではない。
この世界が、大人が眠った振りをして、乳飲み子をかかえた母親を立たせ続け平気な世界であってほしくない。ただそれだけだ。
だから、くたびれ果てても、席を譲る。
近くのご婦人がボクとほぼ同時に席を譲った。
しばらく互いに譲り合った。
そして、なかば強引に席を譲ったご婦人をボクの席に座って頂き、ボクはその場を離れた。照れ笑いしていた初老のご婦人を、ボクは忘れない。
気がつきながら、自分より弱き存在を放置してて、その人に幸せが微笑むだろうか?
わからない。いや、どうでもよい。
ボクは人の世の善意の有難さと容赦ない厳しさの両方を、共に信じる。
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コメント
あと何年かしたら、
「相撲」というスポーツのようなものが
かつては日本にあったんだな……
てな話になっているような気がします。
永遠に続くものは世の中にないってことですよね。
「××軍は永遠に不滅です!」とある偉大な野球選手が引退セレモニーで叫んだとき、テレビの前で「それはないだろう」と思わず反応してしまったことを思い出しました。
投稿: arriba | 2007年9月29日 (土) 06時53分
私は人の善と悪、優しさと非情さをモロに体感する立場に立つものです。
人の死ぬ痛みは判るつもりですが、それも自己満足かもしれない。
この国が、滅びの道を歩んでいるのは、確かです。いまさら、食い止められるとも思いませんが。
どうでもいい事ですか……?。
投稿: れんどう | 2007年9月29日 (土) 16時28分
>arribaさん
「驕るもの 久しからず」と平家物語にありました。
文科省の大臣より頭の高い理事長の写真を採用した新聞社の主幹も、大衆はお見通しだぞ~と思っているのでしょう。
お相撲で頑張ってる人が犠牲にならぬよう、願いたいです。
投稿: チャーリー | 2007年9月30日 (日) 03時42分
>れんどうさん
コメントを、ありがとうございました。
大人になって思うのは、この国の今にこの自分もまた関与してるということでしょうか。
子供たちに、いい形で継承していきたいと思うから、たとえ僅かであってもこの世界に働きかけることが大切だと思っています。
ミャンマーの騒乱には胸が痛みます。国民を銃撃する国家を目の当たりにしました。
投稿: チャーリー | 2007年9月30日 (日) 03時51分