「天国と地獄」 黒澤映画の力
楽しみにしてた録画TVプログラム「天国と地獄」を昨晩やっと観始めて、冒頭しばらくしてもう充分だとTVを消した。
カラスの鳴声、鏡をつかった光の反射、配役・・・どれもが安普請だった。チープなイメージだった。黒澤明をリスペクト(尊敬する)しリメイクするならば、黒澤映画を乗り越える気迫がほしい。
ガス・ヴァン・サントがヒッチコックの「サイコ」をリメイクした時、全ショット・全カットをほぼ再現した。ヒッチコックが演出上試みようとして技術上実現できなかったショットをデジタル・エフェクトを用いて再現するなど、さすがインディペンデントの映画人、ガス・ヴァン・サントだけのことはあった。オマージュを捧げるということは、そういうことだ。
黒澤映画の娯楽の頂点に「天国と地獄」は位置してる。佐藤勝の濃厚な音楽が耳にこびりついてる。室内シーンで用いられた望遠レンズ、刑事たちの行き詰る緊迫感が画面にギュウギュウ押し込められていた。三船敏郎の権藤・・・これは黒澤明の職人(クラフツマン)としての思いが仮託されている。主人公・権藤にとっての靴造りは、実は黒澤にとっての映画造り。我々は黒澤から「映画とはこういうものだ」という狂気じみたパッションを画面から受取る。
山崎努が犯人役を演じた。「黒澤さんに男にしてもらいました」という逸話が残っている。
だから、リメイクを楽しみにしてた。畏れ多いことをするものだと思ってた。期待は裏切られた。黒澤さんは黙って何も言わないだろう。
人生で暇つぶしをするために映画をみるのではない。だから、映画の筋をなぞった見世物を、ボクはみない。
原作・黒澤映画「天国と地獄」は観る価値がある。
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