映画「ディア・ハンター」を観てなくても
あのテーマ曲の弦の主旋律はどこかで耳にしたことがあるはず。1978年のオスカー作品賞を受賞したこの映画を、確か今は亡き「テアトル東京」の大スクリーンでみた。
ロシアン・ルーレットのシーンの強烈さと拮抗する位、鹿狩りの崇高な山のシーンを記憶してる。この映画にはどこか宗教的な願いが込められてる。
映画を、しかも古い映画をみたくなる時がある。
いつでも新しいものを追いかけなくっていいさ。古いものを見直すことによって、自分の中で成長したモノ、成熟したモノなどを確認できたりする。
黒川紀章氏逝去の日に、なぜかこの映画を再見した。それは僕には偶然ではない。この映画の主旋律には鎮魂の響きがある。
平和な時代にも激烈な戦いがあることを、僕等は知ってる。その戦いで「生きるか」「死ぬか」「傷つくか」の三択を迫られる局面がある。
意志ではなく偶然に支配されることが、本当の恐怖であることをロシアン・ルーレットは示している。
歴史をみれば、国家や政治は、時としてこのロシアン・ルーレットを行う銃とテーブルと弾丸とを用意し、生死を分かつ人、そして金儲けに狂奔する環境をつくることがある。
週刊プレイボーイには「人間はウソをつくが、兵器はウソをつかない」と語る防衛大臣の特集記事が載った。そんな日本に今の僕等は生きてる。
◎映画のblogにも「ディア・ハンター」を書きました ⇒ ☆
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