愛車を手放すことは、この春の基調となる通奏低音のようなものだった。
愛車は恐ろしく金食い虫だ。ハイオクをむしゃむしゃ食み、修理にかなりの費用を要する。外国のクルマに恋した者であれば、その存在が<愛人>に近いということが判ってもらえるだろう。
ボクは計算してみた。二人の息子たちが大学生と高校生になるこの春。何をもって経済的な余裕を確保できるか?その答えは明らかだった。「愛人」たる愛車に注ぎ込んできた金額の多さよ。おそらく女性には理解しがたい感覚であろう。
しかし家族は優しかった。皆がボクのクルマを気に入ってくれていた。
ボクはたくさんの自信と勇気をこのクルマから貰ってきた・・・。
だからこそ、一番自分にとって愛着あるものを手放そうと考えた。この愛車を手放すことが試金石になるからだ。
家族と共に最後の旅行を済ませた。
今朝の決意は固かった。
早朝に既にTOKYOへ出た。
視界に入る桜を無視してた。
自分の心に非情さを蓄えてた。
迷いはなかった。
しかし、査定で選んだ業者の所在地に向う度に、なぜか事故渋滞で行く手が阻まれた。
やっかいなことになったと感じた。
そこで、この愛車を手に入れた店に電話をかけてみた。そこへ愛車を持ち込むことにした。
いろいろなやりとりがあって、ある事を悟った。
相手は如何に安く買い叩くか、が商売であることに気づいた。そして自分にとっては、金額が重要な意思決定のモメントではないということに、気づいたのだ。
買い叩かれれば、かなりの金額で化粧し直して、マーケットにでていくことだろう。
しかし、ボクが望んでるのは、然るべき金額のリスクテイクを払ってくれる相手に愛車を託し、ボクに変わる「愛人」を探し出してもらうこと。バトンを渡すこと。
相手は店長だが、代替わりしてた。ボクの北欧のクルマに対する愛情はあまり持っていないようだった。愛があればそれくらいは察知できる。
その金額ならば、廃車にするのと同じになりますから・・・いいんです、無理に売却する必要もないから・・・。済まなさそうにする店長を労い、帰路についた。
愛車を手放さなかったことに、ホッとしてる自分がいた。意外だった。
結局、愛情の問題と経済の問題を、大人は両立させるべく歩んでくものだ。
それは云わば、厳粛な綱渡りである。
次はインターネットによる査定にトライするだろう。
本当に愛してくれるオーナーに、出会えるように。そんな相手にこの愛車を託したい。
世界はあまりにも豊富な変数に満ちている。だから、マーケットには必ず歪みが生じる。
その「歪み」に需給関係が成立した時にのみ、Win-Winの商談がまとまる。
リスクを取り合う関係にしか、愛は成立しやしない。
そんなコトがあった1日、桜満開の今日の日を、ボクは決して忘れないだろう。
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