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2008年3月11日 (火)

ブレイブ ワン

原題:THE BRAVE ONE.ジョディ・フォスターのファンとして観なくてはいけない作品と思いつつも、劇場でみることをためらった。あまり彼女の苦悩する姿はみたくない。

その映画がDVDになってリリースされた。

半分まで観た。残りは今夜見る。だからこの記事は映画の感想ではない。憎悪や復讐について考えたことを記そうと思う。

誰もが“復讐”は社会的にいけないと知っている。憎悪の感情も理性的に対処“しなくてはならない”と知っている。しかし憎悪の感情を生じさせることはこの世界に尽きない。

問題は、“感情”をどうコントロールしていくか?

知性的なジョディ・フォスターだからこそ、憎悪と復讐という“感情”とそこから導き出される“行動”様式に興味が湧く。

20071025000ec00000viewrsz150x倫理的に許容するというレベルではなく、そういう”感情”に同情は覚える。

復讐劇には、復讐する相手が特定されてるのが定石だ。しかしこの映画の発端は少し違う。

生き延びる技術として、「危険が想定されるエリアに立ち入らない」こと。そのエリアは実際の空間、然り、心のエリアも然り。

憎悪をみつめれば、世界は憎悪に染まる。

例え、憎悪がうずまく世の中にあっても、自らのファイア・ウォール(防火壁)の中で、温かな豊かな人間的感情を大切に見つめることが、救済に繋がることになるかもしれない。

最初に銃を手にした処で、運命の選択肢を選んでいる。

もしも社会で傷ついてる人々のケアをする道を選択したなら・・・そう考えてみたりする。

誰もが無縁ではない世界。

日常的に理不尽なことが起こっている世の中。

レベルは様々だが、“感情”と“行動”との因果関係を、コントロールすべきことは多い。

ある意味では、“感情”を代謝させ、身体を感情の暴力から守ることが、自らを守る“行動”様式を選択する道となるかもしれない。

この映画の後半を、今夜みる。

そして、また考えたい。

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コメント

この映画飛行機の中で見ました。
復讐譚なら、やはり大藪春彦先生の「野獣死すべし」シリーズの方がクオリティが上だな、と思いました。

投稿: arriba | 2008年3月11日 (火) 23時12分

>arribaさん

この映画は復讐譚を装った、愛の再生と出会いの物語なのでしょうね。

復讐につきもののカタルシスが低いのは、復讐の過程で「出会い」が生じるから。

大藪春彦先生なら、絶対お認めにならない映画かと・・・。

「野獣死すべし」、とっても懐かしいです!

投稿: チャーリー | 2008年3月12日 (水) 10時40分

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