ブレイブ ワン
原題:THE BRAVE ONE.ジョディ・フォスターのファンとして観なくてはいけない作品と思いつつも、劇場でみることをためらった。あまり彼女の苦悩する姿はみたくない。
その映画がDVDになってリリースされた。
半分まで観た。残りは今夜見る。だからこの記事は映画の感想ではない。憎悪や復讐について考えたことを記そうと思う。
誰もが“復讐”は社会的にいけないと知っている。憎悪の感情も理性的に対処“しなくてはならない”と知っている。しかし憎悪の感情を生じさせることはこの世界に尽きない。
問題は、“感情”をどうコントロールしていくか?
知性的なジョディ・フォスターだからこそ、憎悪と復讐という“感情”とそこから導き出される“行動”様式に興味が湧く。
倫理的に許容するというレベルではなく、そういう”感情”に同情は覚える。
復讐劇には、復讐する相手が特定されてるのが定石だ。しかしこの映画の発端は少し違う。
生き延びる技術として、「危険が想定されるエリアに立ち入らない」こと。そのエリアは実際の空間、然り、心のエリアも然り。
憎悪をみつめれば、世界は憎悪に染まる。
例え、憎悪がうずまく世の中にあっても、自らのファイア・ウォール(防火壁)の中で、温かな豊かな人間的感情を大切に見つめることが、救済に繋がることになるかもしれない。
最初に銃を手にした処で、運命の選択肢を選んでいる。
もしも社会で傷ついてる人々のケアをする道を選択したなら・・・そう考えてみたりする。
誰もが無縁ではない世界。
日常的に理不尽なことが起こっている世の中。
レベルは様々だが、“感情”と“行動”との因果関係を、コントロールすべきことは多い。
ある意味では、“感情”を代謝させ、身体を感情の暴力から守ることが、自らを守る“行動”様式を選択する道となるかもしれない。
この映画の後半を、今夜みる。
そして、また考えたい。
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コメント
この映画飛行機の中で見ました。
復讐譚なら、やはり大藪春彦先生の「野獣死すべし」シリーズの方がクオリティが上だな、と思いました。
投稿: arriba | 2008年3月11日 (火) 23時12分
>arribaさん
この映画は復讐譚を装った、愛の再生と出会いの物語なのでしょうね。
復讐につきもののカタルシスが低いのは、復讐の過程で「出会い」が生じるから。
大藪春彦先生なら、絶対お認めにならない映画かと・・・。
「野獣死すべし」、とっても懐かしいです!
投稿: チャーリー | 2008年3月12日 (水) 10時40分