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2008年5月12日 (月)

時計の品定め

時計に拘る人にとっては申し訳ない話なのだけれど、ボクにとって時計は機能性とデザインがほどよく適度に満たされればいいと考えている。

愛用の時計のベルトが傷んで、新しい時計を探すことにした。

あらためて、時計の世界の広さ深さに驚く。

無限の選択肢がある。

男性誌には時計の夥しいパブリシティ記事が載ってる。その記事のヴォリュームから、時計業界が如何に付加価値の高いビジネスかが伺い知れる。

原価(コスト)と価格の乖離が、これ程ある商品も少ないだろう。

空気や水や香水を売るのに近い。(もっとも昨今、空気も水も調達コストがかかる商品になった。)

時計は、ほとんどが同じ正確な時を刻む。

しかし、ある時計は数十万(数百万)するし、ある時計は数百円である。

そして業界は、消費者に「一人前になったら大人の時計をするもの」というConceptを刷り込むことに成功してるかにみえる。

確かに男性にとっては、数少ないお洒落が主張できるアイテムである。けれど、ルイ・ヴィトンの生産量の1/3が消費される日本において、ブランドと富のステイタスとの関係性は、階級社会として成立してるというより、個人の趣向による選別に委ねられているとボクは感じてる。

そうでなければ、あれほど夥しい時計記事のメディア・ジャックが雑誌で為される訳がない。

たくさんお金を貢がせる資本主義の原理が、そこには働いている。

資本主義とは富める者が貧しい者から収奪するシステムのことを云うらしいから。

・・・そんな理屈っぽい人間は、時計の価格にプレミアムつきまくり・・・と感じてる。

高いからこそ、その時計に価値を見出す人々が多いなら、高い時計を身につけさえすれば、簡単に第一関門をクリアできるということだ。

そんなことを考えながら、時計を見て回る。

結局、ボクのような人間が時計にハマルのだろう・・・。

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