アイルトン・セナの思い出に
5月1日を迎える度に思い出す。
新緑の美しいこの季節に、飛び込んできた悲報だった。
1994年5月1日、サンマリノGP タンブレロのコーナーで悲劇は起こった。
アイルトン・セナの時代が、断ち切られるように終わってしまった。
あの日も今日のように、五月の陽光はさんさんと降り注いでた。
ボクは会社で、デスクを拭いた。仕事が手につかなかった。
その後、青山にあるホンダ本社の1階ショールームには、セナを悼むフロアになった。
マクラーレンの磨きぬかれたF1の車体と大勢のファン。
しかしとても静かであった記憶・・・。
記憶のあいまいさとは裏腹に、今でもセナの面影が脳裏に焼きついている。
あの孤高のストイックな精神と、人懐っこい彼の笑顔。
雨のブラジルGPで、初めて母国で優勝したセナのウィニングランでは、オンボードカメラのマイクが彼の泣き声を拾った。
忘れられない記憶。
失われた命は還らない。
しかし、いつまでも、セナはボクたちの心に光を与えてくれることだろう。
・・・・・・。
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コメント
ああ。五月一日はなんでこんなに悲しい日なんだろうとおぼろげに思っていましたが、セナの命日でしたか……
でも、ぼくたちはひとつだけセナに勝っているところがあります。
それは、今現在、「生きている」ということ。
天才セナに、凡人どももその点だけでは勝っている。
それがどうした? と言われればそれまでですが、死なずに生きているということは、けっこう偉大なことに思えます。
投稿: ariiba | 2008年5月 1日 (木) 21時11分
>arribaさん
生き延びること、生きようとすることが如何に偉大なことかを痛感します。
セナ自身も、またセナの死も、後に続くF1レーサーの命を守るために役立てられたと受止めています。
極限のスピードで生きた人間は、死との境界が常人よりもみえるからこそ、走行前にかなり激しい抗議をしていたのでしょう。
僕たちは、精一杯生きなくてはなりません。
投稿: チャーリー | 2008年5月 2日 (金) 04時57分