「狂った果実」と「ビリーザキッド」
体調を万全にするため運動と温泉を禁じた週末、自宅で映画をみて過ごした。
HDレコーダに録画してたBSシアターの映画二本を観た。
「狂った果実」(1956)は、石原慎太郎の原作、石原裕次郎・北原三枝・津川雅彦らが湘南を舞台に太陽族と呼ばれるブルジョアのボンボンたちの無軌道な夏を描いた傑作。
「ビリーザキッド/21才の生涯」(1973/2005)は尊敬する監督サム・ペキンパーの最後の西部劇。実在の話に敵役保安官パット・ギャレットにジェームズ・コバーン。渋く老いと孤独の影。そしてボブ・ディランの飄々とした味。特別版。
二つの青春の光と影をみた。
結局、映画が本当に輝いていた時代は1970年代までではないか。映画が映画としてありえた時代だった。
今の映画は流通させるために、巨大資本とマーケティングと二番煎じのストーリーがブレンドされた映画「商品」でなければならぬ宿命を負っている。才能では映画をやってられない時代かもしれない。
「狂った果実」はフランス・ヌーベルバーグに影響を与えた。トリュフォーが絶賛した記憶がある。石原兄弟の運命も、裕次郎夫妻の運命も、津川など戦後若手の俳優も、そして武満徹など音楽家にとっても運命を切り開いたプログラム・ピクチャーだ。モノクロームの映像に見入ってしまう程、贅肉のない映画だった。
一方の「ビリーザキッド」は何回も観て来た「西部劇の挽歌」。ここにも「狂った果実」にみられるような青春の光と影が色濃い。
今年の夏が来る。
たくさんのドラマが、海に山に、うまれる のだろうか?
かけがえのないドラマは、きっと人生に、その時の一回性を有しているのだろう。
それは、いくつであっても ある日 訪れる(ことがある)。
そんなことを思いながら、濃霧にたちこめた早朝の湘南海岸をドライブした。
既に海開きした浜辺に、海の家が、霧の中に静かに眠っていた・・・。
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