2009年3月31日 (火)
2009年3月29日 (日)
2009年3月28日 (土)
たまタイマー そんなブログパーツのことについて
仕事をしてて、夢中になってしまうことがある。
あまり本筋ではないことで、夢中になってしまう。
最近つくったブログパーツで猫を題材にしたものがあった。
この猫の鳴き声を決めるまで、すったもんだあった。
最初は、ちょっとおっかない鳴き声だった。
もっと可愛い声で、行こうよ。
猫は、左にフレームアウトして、右から出てくる方が意外性があるから、いいよね・・・。
そういう事を、大の大人がやりとりしてる。
誰からも、そう 会社からも評価されないことに、夢中になっている。
それは評価という他者の評価を求めてのことではなく、このブログパーツと出合う見知らぬ人を楽しませたいから。
「たまタイマー」も、「おでかけカー」も、結構一生懸命ひねりだしたものでして・・・。
そういう事を夢中でやりとりできる仲間がいて、うれしい。
名声や名誉のためでなく。
好きだから、やっている。
2009年3月27日 (金)
「時鐘」-中国人のブログで・・・
自分たちの手がけてるインターネットの仕事で、アクセス解析していた。
日本国内のサービスなのに、海外からアクセスがある。
何故だろう?・・・しかしあまり深く考えずに、想像をめぐらしていた。
そして、造ったブログパーツが、中国語圏のブログに紹介されているのを発見!
中国語圏の人が、ニッポンに抱くイメージを、この時計を模したブログに感じ取っているらしい。
時の鐘か・・・。
なんだか、うれしい。
こんな形で、インターネットは簡単に国境を越えていく。
それが実感できた。
この首都高の走行映像は、ボクが撮影した。
その映像がループとなって流れ続けている。
それがいつか中国語圏の人の目に止り、気に入ってもらってた。
想像もしてない。
そんなことが気づかぬうちに、起っているものなのだ。
不思議な気がする。
2009年3月26日 (木)
WBC 侍ジャパン連覇!
深い感動は、時として人を無口にしてしまう。
あの10回表のイチローの打席は、本当に永かったなあ・・・。
人を不安に陥れるのは、想像力だ。
もしも・・・というネガティブな結末を想像すると、胸がつまってきた。
イチローは、とことん、打つ事に集中しているようだった。
そこで、信じられないことが起った。
運命が切り開かれた。
神が降りてきた、そうイチローは形容した。
イチローは神の降臨まで、どれ程、大いなる代償を払ったことだろう。
そんな逆境にあった男に、打順が回ってくる。
人生の本当に大舞台がくる。
その、ここ一番という時に、起死回生した。
そして勝利した。
イチローに象徴されるサムライたちの、そして原監督の姿がすがすがしい。
勇気と希望を与えてくれた。
本当に感謝します。
よし頑張ろう、そうニッポンの多くの人々を鼓舞してくれたから。
2009年3月24日 (火)
本田式サバイバル・キャリア術 (幻冬社)
「レバレッジ」(てこ)というキーワードでヒットメーカーの本田直之氏の最新刊を読んでる。
第1章「個人サバイバルの時代へ」、第2章「決め手はサバイバビリティ」、第3章「会社で働き、キャリアを磨く」、第4章「一生通用するキャリアを築く」、第5章「サバイバル・トレーニング」で構成されている。
「サバイバル」という言葉がリアリティを持つ時代となった。
この本を読んでて、面白かったのは、「エージェント五社以上に登録する」といった事が書かれている処。
そうしてみようと、単純に思う。
それぞれのビジネスマン毎に、この本に書かれていることの受止め方は違うだろう。
そのビジネスマンの今いるステータスに応じて、違った角度から、この本を読むことになる。
しかし世界的に起っている事象は大地殻変動であり、あらたなパラダイムを模索している過程であるということに異論を持つ人は少ないはず。
自分はどうか?という観点で、読む。
本田直之氏の書いている方向性に、自分は移行しているなと思った。
まだメジャーではなく、マイナーな世界ではあるが、クライアントと自分の関係性、会社と自分の関係性の双方とも、従来のビジネスマンの在り方とは異なる方向へと、自分もまた移行しているーそんなことを、本を鏡にして気づく読書経験だった。
自分にとって、サバイバルという言葉が重要なのは、守るべき家族があるから。
自分がしっかりとこの時代を生き抜くことが、家族を守ることだと思うから。
ゆで蛙になってしまわないよう、「小さな変化、ちょっとした不安定」を意識的に取り入れる。(P49から引用)
本当は、この時代だから、ではなくどのような時代であっても、一所懸命に生きる、ということであろう。
楽して生きれる人生があるならば。
しかし「楽」だけの人生で後悔がないかどうか?ー今のボクにはわからない。
2009年3月23日 (月)
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史)大和書房
「孤独と不安のレッスン」に続いて、小さな文字で「よりよい人生を送るために」とある。
鴻上尚史(こうかみしょうじ)氏の著書を書斎の本棚から引出して、読み返した。
孤独には「ニセモノの孤独」と「本当の孤独」があること。
不安には「後ろ向きの不安」と「前向きの不安」があること。
そういう基本軸のもとに、舞台演出家である鴻上氏らしい身体論で、若者に語りかけるように説く23章である。
例えば、「恥ずかしくない孤独を体験してみる」(3章)、「自分との対話の仕方を知る」(5章)、「「考えること」と「悩むこと」を区別する」(10章)、「つらくなったら、誰かに何かをあげる」(16章)、「自意識を静め、ノンキになる方法を見つける」(18章)、「あなたを支えるものを作る」(20章)、「声に出してみる」(23章)等、おそらく鴻上氏が自ら「孤独と不安のレッスン」を経て、会得した技法を説いている。
孤独と不安に対する心構えを説く章も、精神論ではなく、身体論で語っている処がいい。
本というものは、素晴らしいものだと思う。
永らく書斎の書架にあった本が、再び、自分に働きかけてくれる。
三年前に購入し、たしかに読んだ。
その本を、再読した。
以前よりも、もっと深く身体に沁み込むものを感じた。
少し、自分の成長を感じた。
三年前に、記したブログ記事を読返して、そのように感じた。
人間としての基本(ファンダメンタルズ)を身に着けることは幾つになっても大切なこと。
強くなる、というのは強固になることではなくて、しなやかになることかもしれない。
そう思った。
2009年3月22日 (日)
サイゼリヤは「サイゼ」か「ゼリヤ」か?
高校生の次男坊に勉強の習慣を身につけてもらいたくて、日曜の午前中は図書館で勉強する試みを続けてきた。
今日の午前中、やっと彼の習慣になってきたと実感。
そうやって、図書館を使える青年になってほしい。
図書館は知のサンクチュアリだ。
その聖域の近くに、「サイゼリヤ」がある。
そこでお昼を共にする習慣。
「ゼリヤ」と云うか、「サイゼ」と云うか、今日話した。
「サイゼ」だろう、が結論。
■2/15(日)
小エビのカクテルサラダ/エスカルゴのオーブン焼き/タラコソース・シシリー風/イカの墨入りスパゲティ/セットドリンクバー
■2/22(日)
ほうれん草のソテー/焼肉とハンバーグの盛/ラージライス/マイカとアンチョビのピザ/セットドリンクバー
■3/1(日)
地中海ピラフ(パエリア/リブステーキ/ライス/セットドリンクバー
■3/8(日)
小エビのカクテルサラダ/リブステーキ/ライス/セットドリンクバー/マルゲリータピザ/新鮮マイカのパプリカソース
■3/22(日)
ムール貝ガーリック焼き/新鮮マイカのパプリカソース/ダブルスパゲッティ(タラコ)/セットドリンクバー
手許にある領収書に印字された文字。
いつかこうやって共に過ごした時を、懐かしく思う時がくるだろう。
目の前でわしわし食べる息子を見ること以上に幸せな時は、この世界でそうざらにない。
昭和レトロ 「日の出食堂」
藤沢で面白い居酒屋に入った。
昭和レトロのおもいで処「日の出食堂」。
ビルの2階にあるそのお店には、昭和の名曲が流れてた。
壁には、大村昆さんが。
そして、由美かおるさんが。
駄菓子屋風のカウンターあり、懐かしい映画のパンフレットやブロマイドもあった。
お値段も安くて、夜8時まで、生ビールやウーロンハイが半額。
一緒にいった長男も「また来る」という。なにより気取っていない処がよかった。
思えば、昭和という時代は遠くになった。
平成の時代と違い、戦後の昭和には、共同体がいまだ残ってた気がする。
日本人はTV共同体とも呼ぶべき村社会を形成してた。
すべての流行はTVが演出していた。
そんな時代がついこの間まであった。
既にレトロな時代に。
それはもう還ってこない時代。
今の時代もまた、十年二十年経ったら、同じようにレトロに思えるのだろうか?
2009年3月21日 (土)
映画「ワルキューレ」
ヒトラー暗殺計画の実話をトム・クルーズが演じた。
見応えあるドラマだった。
こんなに大規模な暗殺計画とは知らなかった。これが40位あったヒトラー暗殺計画の最後となり、この九ヶ月後にベルリンは陥落した。
トム・クルーズ演じるシュタウフェンベルク大佐の発案した“ワルキューレ作戦”はクーデターの規模。
この暗殺が未遂に終わった歴史を知っているので、どのように計画が破綻していくかをみることになる。
完全犯罪が僅かのズレから破綻していくのと同じ。
この暗殺計画にも様々な変数が重なり、未遂に終わった。
その過程が興味深い。
ヒトラーが頂点に立つナチのシステムは九ヵ月後に崩壊する。
しかしこの時点でまだそのシステムは機能してる。
それを転覆させようとするシュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)は変革者であり、その変革を実行し敗れた訳である。
しかし、敗れて無意味であったか?というと違う。
それが、歴史の深い真実だろう。
最後の最後に、シュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)の発する言葉が、映画の中に定着された事の意味。
知られなかった歴史の事実を、映画が世界に知らせる力。
トム・クルーズが費やした情熱は、そこにあるとボクは思う。
時代は変っても、世界はシステムとシステムとの覇権争い。
システムの矛盾に満ちた軋轢に満ちている。
そこで戦っている人々と、トムが演じたシュタウフェンベルク大佐には、どこかに共通項を見出せるのだろう。
何かのために戦った者という共通項が。
2009年3月20日 (金)
WBC 韓国に勝利す!
LAに向うバスで、侍ジャパンの面々が深い安堵の眠りについてることを願いつつ・・・。
書斎で、家族揃って応援した。
ボクは両頬に日の丸を書いて、子供たちに笑われた。
とにかく今日は太平洋を越えて、念力を送るのさ。
勝つためならば。
しかし永い永い苦しい観戦だった。
勝利を決定的にするまでの永い道のり。
侍ジャパンの選手たちの顔がよかった。
皆必死で戦っている。
ボクは評論家ではないから。
言葉でなく行動でしか奇跡を呼び込めない男たちを、TVを通じ応援するだけだ。
だから、勝ててよかった。
難しい分析も今はいらない。
安らかな眠りを眠ってほしい。
LAで、また新たな戦いが始まる。
それまでの、つかのまのOFFだから。
映画「卒業」
昨晩BSで放映された懐かしい名作を、久しぶりに観た。
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」が印象的で、公開当時、サントラを買った。
ダスティン・ホフマンは、この映画でスターとなった。
マイク・二コルズ監督の演出は、今みても斬新で、舞台演出と映像主義がブレンドされ、この少し際どい物語を60年代の名作に仕立て上げることに成功した。(オスカー受賞。)
映画は変らない。
けれど人生は続く。
観ているこちらが成長してるので、映画の別の面を見出して、面白かった。
アン・バンクロフト演じるロビンソン夫人が、絶妙にうまい。
この映画はコメディのジャンルだが、60年代アメリカのミドルクラスの空疎感が、辛口で語られる。
映画の最後、バスの最後部座席のベンジャミンと花嫁姿のエレーン(キャサリン・ロス)。
興奮の余韻が去って、キャサリン・ロスが隣のベンをみる。
ー「この人、本当に大丈夫かしら?」
といった表情が浮かぶ。
ベンはいまだに卒業していない。
チャールズ・ウェッブの「THE GRADUATE」をペーパーバックで読んだ若い頃には気がつかなかった。
この映画の終わった処から、本当の人生は始まるはず。
二人が幸せになる、と思いたい自分がいる。
そのためには、ベンは本物の大人になって子供から「卒業」する必要がある。
それを果たしたと思いたい。
2009年3月19日 (木)
WBC キューバを破り
ちゃんとTV放映をみれなかったので、今夜のお楽しみだ。
勝ってよかった!
野球に詳しくない自分が、WBCで、侍ジャパンを応援するのは、おそらく愛国心から。
ニッポンを元気にしてくれる。
やはり、血が騒ぐ。
イチローが、やってくれたみたいだ。
それが、うれしい。
イチローは、どれ程の重圧を撥ね避けようとしてたろう・・・。
マスコミ、そしてスタンドを埋める群集。
夢を託された者の栄光と孤独。
だから、はじき返してくれて、うれしい。
イチローもまた、日本の誇るべき人材。
ごめんなさい。
野球に詳しくないので選手たちを個別に語れないのですが、侍ジャパンの全ての選手たちが、明日の韓国戦で、精神的に勝ってほしい。
精神的に勝ってくれよ、と願いたい。
坂本龍一氏「out of noise」 再び・・・
今日は坂本龍一氏の「out of noise」の一日だ。
繰り返しiPodで聴いて、このアルバムを必要としてる自分がいて、そしてその音楽を聴きながら、坂本龍一という存在と対話する自分がいる。
「同時代者」という硬い言葉は好きではない。
しかし、この時代に生きていることに感謝したい。
決してミーハーでなく、いままで坂本龍一氏に対して熱狂的であった訳ではない。
しかしリスペクトしてた。
ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラスト・エンペラー」「シェルタリング・スカイ」、大島渚監督の「ご法度」などで、坂本龍一氏の音楽は、深く映画世界のテーマを照らしてた。
そして今、「out of noise」では、音楽で世界を照らそうとしてる。
普通の音楽とは違う、
何か切実で、苦しい思いが伝わってくる。
あるいは命の有限を知った者の歌かもしれない。
言葉では伝えられない思いが、音楽になっている。
自分が生きて、迷い、苛立ち、失望し、しかし希望を失わず、子供たちを育て、しかし無力を知り、世界に対して少しでも自分が役立ちたいと願う・・・そんな名もない一人の人間を勇気づけてくれる響きを、ボクは彼の音楽から汲み取った。
だから、だから幸せだ。
ひとりではない。
そう思えたから。
携帯を忘れてしまった日には・・・
なぜか、解放感がひろがる・・・。
朝ケータイがないことに、気づいた。
ひさしぶりに公衆電話ボックスに入って自宅に電話する。
NTTの収入、120円也。
長男が電話口にでた。
ケータイは書斎にあることを確認。
ー今日はWBCキューバ戦だね。応援 よろしくね!
そんな会話を長男として、電話ボックスを出た。
なんか、解放感があった。
自由だ。
ケータイがないということは、ネットワークからこぼれた存在であるということ。
どこにいても、誰からもアクセスできるコンビニのような存在から、今日一日は解放される。
きっと、神様が与えし自由さ。
その自由を大切にしましょうね。
明日から三連休。
ここ二週間、休日出勤をしてきたので、お休みが恋しい。
だから、今日は三連休のプレ。
まもなくWBCキューバ戦が、はじまる・・・。
2009年3月18日 (水)
坂本龍一"教授”の ニューアルバム「out of noise」を買って
五年ぶりの坂本龍一“教授”のアルバム「out of noise」を買わないでいる事は難しかった。
今朝からiPodで聴いてる。
商業的でありながら、商業的ではない。
コマーシャルではない。
でも、コマーシャルであってほしい。
(みんな買ってね。)
言葉を選んで書かなくてはならない、そう思う。
“魂(たましい)”に響く音楽。
だから繰り返し、聴いていながら、個別の客観的なコメントを、今は書けない。
けれど、今、このアルバムを聴くことができて、幸せだ。
このアルバムを本当に必要としている人は、あるいは今が孤独な人かも。
坂本龍一自身が、深い“孤独”に向き合って創造しているように感じられる。
そういう音楽。
だから、紹介することは難しい。
魂(たましい)に働きかける音楽を、紹介する技術を、ボクはまだ持たない。
けれど、ボクはこのアルバムで、勇気づけられている。
ある曲に、現実が交じる。
I'll be all right・・・
俺は生きている。大丈夫さ
・・・現実の悲劇に直面した人の音声が入る曲。
本当に苦しい時にこそ、人を慰めるのが芸術。
ボクは学生時代に知った、そんなことを思い出している。
坂本龍一が今考えていることは、自分のエゴではないこと、現実の地球のこと、つまり本当はコマーシャルではないことについて、厳粛な綱渡りをしているようだ。
毎日が幸せならば、おそらくこの音楽をスキップしてしまうように思える。
なぜならその音楽は深く重くしかし自然で、一抹の希望を祈る響きだから。
音楽に向き合って、久しぶりに“厳粛”な思いにとらわれた。
2009年3月17日 (火)
SMAP×SMAP トム・クルーズがやってきた
昨晩、ビストロSMAPに、トム・クルーズが出演した。
やはり、トム・クルーズはカッコいい!
そのカッコよさは、気取ったものでなく、むしろ明るく気さくな感じのカッコよさ。
そしてスマップのホスピタリティもたいしたもの。
食事はリラックスして和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気。
トム・クルーズは本当に楽しそうだった。
「ウマイ!」
「チョー・ウマイ!」を連発。
それが自然な感じ。
木村拓哉さんが「トップガン」のパイロットのジャンパーを着た写真で、ジャニーズ事務所に応募した秘話を披露。
「トップガン」が、木村さんの人生の扉を開いたのか・・・。
トム・クルーズの最新作「ワルキューレ」も楽しみである。
【感謝!1400回】
「ダーリンのコーヒータイム」は、この記事で1400回を迎えました。ありがとうございます!
ほぼ毎日続けると、功徳があるのかもしれません。
書くことで、ちょっと自分を客観的にみる。
誰かが読んでくれるから・・・そう思うことで、苦しい事も少しオブラートに包んで書いています。
時にはUPして、すぐ引っ込める記事もありました。
いつか、そう・・・十年位経ってある日、このblogを読む機会があったなら、きっとこの時代を生きた印がそこに残っている気がします。
だから、これからもどうぞ宜しくお願いします!
ここで新しい試みとして、写真で最近の流れを追ってみたいと思います。
3月14日のホワイト・デイ。
終日仕事でしたが、ホワイト・デイのお買い物をしました。
いつの頃からか、コピーライターよりも人生経験が豊富になってしまった気がしています。
東京。
消費する中に、本当の幸せは、何%あるのでしょうか?
広告がキラキラと輝いていた時代は今は昔。
けれど、やはり好きなのでしょう、歩みを止めて読んでしまいます。

Dentsu.
日通、ではなくて、電通です。
ニッポン人は世界で一番TVの好きな国民ですね。
立派なお爺さんになってみせる。
たくらむ。企む。
企画は、企みの計画。
やっぱり、新し物好きであろうか・・・。
新幹線。
いい形をしてます。
そこには美が在る。
冷やし白玉ぜんざい。
こうやってみてくると、人生の逆境と思えたりする時すら、同時に至福の時間であることを悟る。
がんばって、いや無理をせず、あるがままに、いきましょう!
(そして、2008年12月12日に1300回の記事を書いてました。)
2009年3月16日 (月)
2009年3月15日 (日)
アリエッタ ホテル&トラットリア
ARIETTA.
春の嵐の夜に泊まったのは、イタリア語で「そよ風」という名のホテルだった。
室内はゆったりとしていて、機能性を強調し過ぎない造り。
明日は仕事の本番という時に、床がフローリングであることが、うれしかった。
ゲストに次男坊を招待し、早めの夕飯はお寿司にした。
今までも厳しい仕事の合間に、子供たちにつきあってもらった。子供たちと共にいると健全なスタンスに気づかされる。
美味しいものを食べて英気を養いリフレッシュしたい。
「回転するお寿司と、回転しないお寿司とどっちがいい?」
「回転するお寿司がいい」
そういう次男坊に従って、馴染みの店に行く。
早めに部屋に戻り、各々好きな事をして嵐の晩を過ごした。
次男坊の欲しがった新海誠監督の原画集「空の記憶」を買ってあげた。
結局彼は一晩中それを読み続けていた。
明方、近所のデニーズで一緒に朝食をとった。
次男坊は部活の朝練(あされん)へ、自分は早朝のオフィスへ。
短い小さな旅。
今度は、爽やかなそよ風の頃に、もう一度泊まりたい。
2009年3月14日 (土)
2009年3月13日 (金)
春の嵐かい・・・
発達中の低気圧と共に、週末はやってきた。
風の強い荒れた天気の日に、よりによってボクは仕事する。
都心で一泊して過ごす今夜。
荒天でも出社OKです。
そのために手を打ったみたいで。おかしいね。
いずれにせよ、今夜はたっぷり休もう。
明朝、どんなに荒れても、へっちゃらでいれるように。
でも、どうか早く前線よ。
早くさっさと通過してくれ給え。
そんな祈り、天に届くものだろうか?
花金(ハナキン)の旅
ハナキンという言葉は、もう死語になったのだろうか?
そういえば、花木(はなもく)という言葉も聞いたっけ。
明日はお休みというリーマンにとって、金曜日の終りは少し開放感にひたれる時。
やれやれ一週間がこれで終わったな・・・そんな感じで街にくりだしたりする。
土曜日に仕事があるボクは、都内に一泊することにした。
小さな旅にでたい。
そうずっと思いながら、願いが果たせないでいた。
なので、これは小さな旅。
朝のグリーンに乗って、未知の都会を訪ねる旅。
2009年3月12日 (木)
赤坂 あべちゃん
麻布十番の「あべちゃん」は知っている。
今夜は友人に連れられて、赤坂の「あべちゃん」に行った。
麻布十番の暖簾は、確かブルー。
それは、「赤」坂だから?
店内は、リーマンの癒し空間。
ほとんど男性で、ジャパニーズ・ビジネスマン。
背広とネクタイが窮屈そうである。
こういう空間でお酒を飲むことが、リーマンの常態だった昭和の時代を思い出す。
赤坂で、こういうお店は少ないらしい。
一人三千円位のリーズナブル価格。
人と職場、仕事のジレンマの話をして、三千円のカウンセリング・ルーム。
そんな時代が、昭和。
この「あべちゃん」は、平成の救護施設かも。
六時には一杯になるカウンセリング・ルームである。
2009年3月11日 (水)
自分で逆境と思っていても・・・
人生で最も幸せなのは今かもしれない・・・そう思える今夜。
何が逆境で、何か幸せか?
人生には深い意味が、鉱脈に隠された宝石のようにあるものだ。
一生懸命生きてる。
惰性で、安穏と生きてはいない。いや安穏と生きられない。
だからこそ。
今こそ人生で一番幸福な季節を、ボクは生きてるのじゃない?
そんなことに気づく夜。
子供たちを、家族を、守るために、ニッポンのお父さんは一生懸命戦ってる。
勝つ戦いもある。敗れる戦いもある。
けれど、一生懸命生きて戦ったことは、家族に伝わる。
そう信じるから、戦える。
敗れる戦いにも美学がある。
それを息子たちに見せればいいさ。
いや、負けることはない。
どこまでも負けを認めない戦いをしようではないか。
戦い続ける限り、勝利は手中さ。
いや、勝った負けたと、騒ぐじゃない。
後の態度が、大事だよ~。
今日一番うれしかったことは
次男坊からのメールで、こういうメッセージをもらった。
ー新海誠に出会えたのはお父様のおかげなので
うれしいなあ。
そんなこと忘れてた。
そうだったっけなあ?
でも、うれしい。
本当にうれしいです。
新海誠監督 「秒速5センチメートル」
NHK BSで放映の新海誠監督「秒速5センチメートル」を、薦められて観た。
「雲の向こう、約束の場所」で新海誠に出会った。
それに続く4作目、「秒速5センチメートル」。
3本の短編、<桜花抄><コスモナウト><秒速5センチメートル>で構成されている。
小学生の遠野貴樹(とおの たかき)と猪原明里(しのはら あかり)は、転校で中学時代に、離ればなれに。その二人のドラマが、<桜花抄>で描かれる。
<コスモナウト>は種子島に転校した遠野を中学から高校まで恋する澄田花苗(すみだ かなえ)の視点で描かれる。
そして<秒速5センチメートル>は、大人になった遠野の今の視点で語られるドラマ。
短編という形式で、説明的でない余白の部分が、観ている私たちの思いで紡がれる余地を残した不思議な物語。
桜の花吹雪と静かに降る雪。
人生の時の時、の感覚。
別れ。そして永遠。
宇宙に向かって重力を離脱すべく上昇するロケットと、主人公の遠野は実は同じなのではないか?
新海誠の風景と光は透明でいて暖かく、オリジンに満ちてる。
説明的でないその物語は、現実に似た物語で、そこから観る者が何かを掬い取る。
そういう余地を残した物語だから、たぶん消費されないだろう。
「秒速5センチメートル」というのは、桜の花びらの落ちるスピードだそうである。
そして種子島のロケットは、時速5キロメートルで運ばれていく。
我々は誰もが孤独に宇宙を旅する宇宙飛行士なのかもしれない。
山崎まさよしが歌う主題歌「One more time, One more chance」が胸に沁みる。
この映画を観るように薦めてくれたのは、高校生の次男坊だった。
青春の只中の次男坊の心を捉えたこの映画は、少し長く宇宙空間を旅してきた父親のボクの心もまた捉えた。
十代と変わらぬ瑞々しい思いに、再び出会えるなんて。
ありがとう
2009年3月10日 (火)
「戦力外通告」~プロ野球を「クビ」になった男たち
プロ野球選手にとって、ある日訪れる「戦力外通告」-それはクビを宣告されること。
プロ野球に全く詳しくないのに、この本に興味を持ったのは、逆境に直面したプロフェッショナルたちが、どのようにその逆境を克服し第二の人生を歩んでいったかを知りたかったから。
大越基、田中一徳、橋本清、石毛博史、野村克則、五人の選手たちの野球人生が描かれる。
栄光の時より、戦力外通告という苦境にどう対峙し、それを乗越えていったか?に主眼が置かれる。
軽い読み物風に記述されており、さらっと読める。
描かれた苦悩は、あるいはさらっとし過ぎてるかもしれない。
きっと爽やかさの裏には、深い苦しみと葛藤、そして悔し涙があったに違いない。
いくつかの印象的な言葉が残る。
田中一徳:「何も変わらないんであれば、成長はできないですよね」
橋本清:「家族を持ってからは違う。とにかく必死だった」
石毛博史:「自信だけなんだ。どうやって自信を取り戻すか。それだけのことだ」
野村克則:「今、ここに一生懸命ー」
非情な世界で、組織の矛盾、身体の故障、運命の悪戯、神様の与えた試練。
そんな中にあって、それでも前へ進もうとするプロたちの姿は、我々ビジネスマンにとって励みとなる。
野球のプロフェッショナルから、人生のプロフェッショナルへと成長していく。
その姿に打たれた。
2009年3月 9日 (月)
AERAの特集 「体感年収を上げる」
AERA(アエラ)09.3.9号(No.11)の特集「体感年収を上げる」は、興味深かった。
体感年収・・・面白い着眼点だ。
例えば、「収入を時給換算してみる」。
働く時間と収入の相関を調べる。
残業しないでプライベートの時間を確保する。
そのためには、生産性を高める必要がある。
そして「生産性が高まると、体感年収も上がる」と云う。
特集の記事で、印象に残った言葉をノートに書き写した。
「会社のためではなく、目的意識をもって自分や社会のために快適に仕事をする。大切なのは目の前の年収ではなく、生涯プレーヤーとして安定して働き続けることです」(引用終り)
自分時間に占める仕事の時間は大きい。
その時間を仕事に費やすことにより、人は生計をたてている。
しかし自分時間には、家族の時間、未来のための時間という大切なものも含まれる。
そういう時間を確保するために、現在の仕事に費やす時間にリミットを設けることは、大切なことではないか?と考えた。
ワークライフバランスという言葉は、仕事と生活が別のもののように感じられて、違和感があった。仕事が生活に等しい生活を送ってるビジネスマンの方が多いと思う。
けれど、今の仕事がそのまま永続的に続くと考えるのは幻想に近い。
そんな変化の激しい時代に生きている。
だから未来にあてる時間を確保することが、大切なのだ。
生涯プレーヤーであるためには。
だからこそ生産性を上げて、さっさと帰れるライフスタイルを身につけるべきだ。
去年までは仕事にとことん注ぎ込んだ仕事の仕方だった。
その仕事の仕方について、考えるヒントをくれた記事だった。
2009年3月 8日 (日)
WBC イチローはやはりサムライ
宿敵・韓国に14:2でコールド勝ちー。TV観戦でもドームの興奮が伝わってきた。
侍ジャパンの打線爆発に、TVの前で何度も拍手した。
そして、イチロー。
彼はやはりサムライだ。
初回のヒットも、そしてバントもみせてくれた。
プロはみせる。
ここぞ、という局面でキメテくれる。
TVで、イチローの表情がみてとれた。
引き締まったいい顔をしてた。
原監督の表情から、最後にはその厳しさがゆるんで、安堵がうかんでるのをみた。プレッシャーはいかばかりだったろう。
一方、イチローはあまり変わらなかった。
スポーツは全て行動(アクション)で、現実がつくられていく。
最も自らを裏切りやすい肉体と精神を制御して、プレッシャーと期待の呪縛から意識をときはなってアクションすることの凄さ。
もちろん興奮もあるだろう。
しかしイチローの表情をみていて、興奮を超えた何かを感じた。
冷静な情熱とでも呼ぶべきもの。
敵と戦っているようにみえながら、イチローは自らの身体のオペレーションとの静かな戦いを続けているようだ。
打ちたい気持ちと打てない現実を一瞬でひっくり返したイチローをみていて、彼はやはりサムライなのだと思った。
ラーメン 梵天 野菜大盛
土曜の午前中の仕事を終えて、クライアント先から渋谷に戻ってきた。
春の陽射しが宮益坂を照らしてた。
もう春だ。
お昼は、あのラーメンを食べよう!と思った。
麺屋 梵天。
宮益坂の坂を上る途上左に位置する。「ラーメン大戦争」とあるからラーメン屋さんの入ったペンシルビルということか。そのビルの路面店が「梵天」だ。
渋谷は何故かラーメンを食べたくなる街、かもしれない。
この「梵天」のラーメンは、野菜大盛をリクエストできる。
一列に並ぶカウンター席に座って、待つ。
もやしとキャベツの温野菜が山盛り。
この豪奢な感じが、いい。
スープは味が濃く、麺も太し。
カロリーを意識するボクは、いつも申し訳なくも五分の一を残して店を出る。
700円でリピートさせる仕組みが、この店にもある。
クセになる濃い味付け、野菜大盛というイベント的演出。
休日出勤はどこか詰まらない。
そんな気分をチェンジしてくれる「梵天」だった。
2009年3月 7日 (土)
金曜の午後 スーパー銭湯は
土曜に休日出勤する代わりに、昨日の午後は半休をとることにした。
せっかくの半休だ、近所のスーパー銭湯で過ごそう。
氷雨の激しさにいったんはためらったけど、荷物を置き、うんと身軽になって出かけた。
雨で金曜日だからか、湯船も露天風呂もサウナも空いていた。
気ままにゆったりとお湯を楽しんだ。
雨の露天風呂は大好きだ。
自然のパワーを身体で受けてる気分がいい。
一週間の疲れを洗い流す儀式として、金曜日にスパ銭にいくのは、いいかもしれない。
すっかり身体が軽くなって、家路についた。
あったかな「おでん」が食卓で待っててくれていた。
2009年3月 6日 (金)
氷雨がうれしい 花粉の頃は
昨日の晴れから再び雨に。
雨脚が激しい氷雨となった。
雨の香り。
冷気がうれしい。
どうか花粉を叩き落としてくれたまえ。
どんどん流してくれたまえ。
花粉症で苦しむ人々に福音の雨が降る。
人は同じ現象を前に、違った感情を持てるものだと知る。
ビジネスマンにとっては、雨は味方か?
そう、味方の場合もある。
雨の日に、クライアント先で「ほう、熱心だね」と声をかけられた若い時代。
営業は、雨の日こそ。そう思ったっけ。
あるいは、雨の日に恋人と訪れたライブハウスで。
片方の肩が濡れていて、もう片方の相手を守る方は濡れていないことを、お店の人に見抜かれた。
そんな雨の日の思い出。
今日の雨で一週間の疲れもまた洗い流せるように、と祈る。
2009年3月 4日 (水)
再び「最前線のリーダーシップ」を手に
座右の書を再び手にして仕事に向かう日々。
「最前線のリーダーシップ」。
原題:Leadership on the Line.
ハーバード・ケネディスクールの研究者の本が今、ボクのon the lineを支えてる。
最前線ー。
あなたが立っているその地点。
寛いでいるあなたではなく、仕事の最前線の、あなた。
ある日ある時、矛盾と葛藤に曝される、あなた。
人生は決してうまくいく時ばかりではないから味がある。
そんな時、あなたの支えになるかもしれない本のひとつ。
そのP288.
「聖域を探す」
再読した。
ー聖域とは、自省と再生の場。
そんな場所に退避して、自らのコンディションを整える。
電話を通じて、共に戦ってる仲間たちの声を聴く。
切ない程、勇気づけられる。
けれど、ボクが抱える責任と矛盾は大き過ぎて、ね。
まずは聖域(サンクチュアリ)で体勢を整えるさ。
笑顔と余裕のバックヤードでは、そういう事が必要だと知った。
多分、自分は、既に大人になってしまったのだ・・・。
誰に一番メリットがあるのか?
今朝のTVで落合恵子さんが推理小説を引合いに出して、あるニュースについてコメントしてた。
ミステリーで複数の容疑者がいる。
真犯人を推理するときに、自問する。
ー「誰が一番得をするか?」
ふむ。
ある事件が起きる。
マスコミ報道がある。
新聞の一面に見出しと写真がでる。あるいはTVでトピックスが流れる。
他の同じ疑惑の人は表にでない。
最もニュース・ヴァリューのある人間ひとりが標的となる。
そんな時、マスコミは現実をレンズで拡大してみせる。
面白く、また可笑しくも、正義をかざして、論じる。
そこでは客観的な視野も真相もあまり関係はない。
そうしていくうちに、その現象が事実となる。
かくして真相は闇に消える。
誰かが失墜していく。
このピンポイントのタイミング。
確率においてどのような確率となるのだろう?
興味深い。
世界や世論の流れが変わり、誰かが笑う。
・・・・・・
そういうことではない、とするのであれば、李下に冠を正さず、公明正大な事実の開示と報道が求めらるだろう。
本当に「まさか」の坂はあるものだ。
かくして歴史はつくられる。
衆愚に脱しないよう冷静であらねば。
愚かでいられないのは、私たちの問題であるのだから。
正義(ジャスティス)をかざして戦争は行われる。
そのことを、私たちは知っている。
2009年3月 2日 (月)
月間160時間・・・その視点から
仕事の打合せをしてて、ヒントとなる視点を得る時がある。
「月間160時間」。
一日8時間。一週間5日で40時間。四週で160時間。
160時間で、何を生み出せるか?
自分は何を成しているか?
これから何を成そうとしているか?
月に160時間のタイムマネジメントをする視点は、実務家に重要な視点であると思った。
大変な仕事、困難な仕事の場合、時間を投入してでも達成したいと思うし、現実には時間を注ぎ込んでする仕事も多い。
現実はそのようにして仕事は進んでいく。
しかし、月間160時間という視点が自分にとって新鮮という以上に神聖に思えたのは、その仕事の時間は、同時に人生の時間でもあると受けとめたからだ。
企画を立案する時に、四六時中考えていることがある。
無意識にそれを考えている。
そのような時を経て、あるとき企画の原型が生まれる。
そのプロセスを経る仕事の場合、処理する仕事と違い、時間計測は難しい。
しかし難しいからこそ、月間160時間という時間的尺度には意味があるはずだ。
月間160時間の密度を高めることによって、新しいモノが手に入るという予感がする。
そういう尺度をもって仕事をする。
その尺度を持たない人間には気づかない何かを、手に入れられる。
そんな気がする。
2009年3月 1日 (日)
3月1日 3月は楽天的で行こう
2月の暦はBOXだった。
日曜から始まるカレンダーでは、日曜から土曜までの1Weekのラインが4段重なりBOXの形になっていた。
BOXの2月。
2月は水面下で春が準備をしてた。
人もまた水面下で春の準備をした。
花が咲くのは、まだ少し先。
今日から始まる3月を、楽天的で行こう。
そう決心した。
楽天的である、とは希望を持つこと。
楽天的である、とは行動の活力を持つこと。
そして楽天的である、とは行動し続けること。
変化を受け入れ、変化に適応し、変化をいい方向にハンドリングするため、希望をもって行動し続ける自らのポジションをはっきりさせる必要がある。
悲観的な人は周囲を困らせ、周囲のエネルギーを吸い取る。
<悲観的に良い方向に行動する>。それは論理矛盾をおこす。
人は希望ある人に照らされて動く。
だから、3月は楽天的でいこう。
一年前のblogの記事(2008年3月末)「楽天的でいこう」に倣い、一ヶ月早く「楽天宣言」します。
































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