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2009年4月25日 (土)

映画「グラン・トリノ」 涙した・・・

イーストウッドの最新作「グラン・トリノ」が今日、封切られた。

その初日に観た。

そして、観るに値する作品だった。

(ストーリーを語り、楽しみを奪ってはいけないと思い、映画から離れた視点で語ります。 ご安心ください。)

イーストウッドが、手練手管で泣かそうとしてるか?

そうではない。

しかし映画の最後で、じわじわと涙は止らなかった。

それは78歳のイーストウッドが「生と死」というテーマに自ら思索しながら役を演じ、監督していることが伝わってくる映画だったから。

アメリカの挽歌でもある。

フォード社の「グラン・トリノ」。

この象徴的なクルマがタイトルのこの映画は、男の人生の最後を飾ることについて、イーストウッドの意志を表明してる。

人は孤独な存在。

けれど、人は人によって成長し、人から人へとバトンを渡す中で、生きる意味を形作っていく。

西欧と東洋の断絶もまた、映画の中で見事にキャスティング・ボードとなる。

文化や人種の相克が、しかし人間を豊かにする。

映画を観て、本当に良かったと思える瞬間が、この映画にはある。

人は七十代になろうとも、成長しうる事、いい仕事をし得る事を、イーストウッドは自ら映画を創ることを通じ、示した。

それは、「グラン・トリノ」の主人公・コワルスキーの生き方にも通じる在り方だ。

今幸せに漂う人には、この映画は必要ない。

しかし、人生は幸せに漂ってばかりで終わるものではないのだから、いずれいつの日か、この映画に出合えて、それだけで、幸せだと云える時もあることだろう。

イーストウッドの中に、男の色気を感じる。

絶えず、前に進もうとしている人間には、艶があるのだ。

「グラン・トリノ」。

それにこだわること自体、男という生き物の在り方なのだ。

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