渡辺謙 遠まわりの雨
山田太一ドラマスペシャル「遠まわりの雨」を観た。
山田太一氏の台詞には、いつも不思議な響きがある。
ぶつっ ぶつっとした感触、それは山田太一氏独特の言い回しだ。
ごつごつと不器用に生きている感じ。
「へこたれてる」-渡辺謙が呟くその日本語も、久しぶりに聞いた気がする。
男性の視聴者としては、このドラマにラブ・ストーリーよりも、渡辺謙がどう生きようとするか?に関心が向かう。
少なくとも、ボクはそうだった。
ニッポンの男性は、へこたれているのかもしれない。
だからヒーローではない渡辺謙の自制や現実との折り合いのつけ方、それでも何かに燃えたいとする男の在り方が、印象に残る。
恋には制約が充分ないと恋たりえないーそう山田太一氏は考えているようだ。
だから、このドラマでは、恋してはいけない伏線が張り巡らされている。
恋をエロスという概念に置きかえてみる。
そうすると、最後の極楽寺のシーンは説明がつく気がする。
もう一度、彼が生き返るためには女神が必要なのだ。
それは過去からではなく、今もしくは未来から来るべきもの。
そのエロスがこれからの彼の人生を甦らせる。
遠まわりをしたけど、セラヴィ・・・それが人生さ、というように。
ふたりは、二度と会うことはないはずだ。
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