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2010年4月 1日 (木)

映画「ハート・ロッカー」を観て

爆発物処理に従事してる主人公はもっとマニアックで戦争の狂気に犯された人物かと、想像してた。

映画の冒頭で語られるエピソードでは、防護服を脱ぎ捨てたり、爆発物の探査手順をショートカットしたりするので、独断的・独善的な人物かとも思った。

この人物に対する思い込みが、実は誤りであるということがわかってくる。

とても職業的な人物であり、爆発物処理に対し精通し、それを生涯の天職としてる人物なのであろう。

しかしこの戦争の日常は、あまりに異常である。

その事が映画を観ていて、日常と非日常が転倒していることが、この映画の特質であると思えるようになってきた。

戦場の日常は、生か死かであり、起承転結もない。始まりから終りまで、瞬間瞬間の極限のドラマの連続。それが果てしなく続くのだ。

その異常な世界に今も大勢の兵士を送り出しているアメリカの現実。

この映画をアメリカ人が観るのと日本人が観るのとでは、とても違って受け止められるのではないだろうか?

彼が、あまり考えない、考えていないーそういうのは、考えない事を選択するしか、生き延びる道がないと考えているからだろう。

映画の最後にかすかな希望があるのは、彼もまた、生き延びようとしているからである。

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