小田和正「クリスマスの約束」 22分50秒
「クリスマスの約束2009」の再放送を観た。
昨年末の番組からさらに「22’50”」を軸にヴァージョンUPされていた。
「22’50”(22分50秒)」と題されたメドレーから受ける感動は、私たち視聴者だけでなく、小田和正氏自身にとっても大いなるものだったと番組から知った。
アーティストが全てをオペレーションしているようにみえて、実際のライブで<生きる>ことにより体感・体験しうる感動なのか。
何故、この曲は感動を与えてくれるのだろう?
それをこの数日間考えていた。
多様性(男性、女性、若者から年配まで、曲の個性、声質、生き方)の全てを認め合い、リスペクトし合い、ひとつのメドレーを歌う。
そこに人と人との共感が増幅されて現れた。
歌は愛を謳う。
さまざまな愛があり、恋があり、別れもある。
しかし愛こそ、人と人とを幸せにする共感の源であり、それを大勢のアーティストが歌い繋ぐことによって、ある情念が立ち昇った。
共感と許容の情念。
あるいは、生を全て肯定するような情念。
それは、22’50”という時間を必要とし、刹那のひとつひとつを密度濃く積み重ねた結果として、得られた感動。
曲順を配列した小田和正さんのアーティストとしての力量が、その影に隠れている。
何度も聴いて思うのは、全体に起承転結と呼べる構造があるようだ。
「結」は、平原綾香さんの「ジュピター」から始まる、というように。
感動を醸成する形式として、そこにアートがある。
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コメント
小田さんのコンサートご覧になったのですね。私は一昨年のコンサートでかなりショックを受け悲しく寂しい気持ちになりそれ以来見る 聴く気持ちがあせました。その年のコンサートでは、地元の方と触れ合おうという趣旨で彼が街にてでいきました。そこに年配女性旅行者のグループがおり、すこし話したり一緒写真とったりした後で・・・ババァばかりだと彼いいました。小田さんの口からそのような言葉をきくとは思いませんでした。中には戦争を体験した方もいらしたでしょう。日本が一番大変だった時代を生き抜いてこられた方々です。有名人の小田さんに会えてはしゃいでしまうのも不思議ではありません。その方々と別れたあと苦笑しながらババァばかりとは・・・その後コンサートの中で何かしらコメントがあるかもと期待し最後までみましたが、特になかったと記憶しています。もちろんその日の全ての曲は色褪せ・・・私の中から一人アーティストが消えました。
投稿: あらら | 2010年4月16日 (金) 21時47分
あららさん
あららさんと同じ時、同じように、あの時は我が家でもインパクト大きかったです。
TV番組を作りオンエアするまでのプロセスにおいて、大勢の人々、クリエイターがかかわり、最後の完成形になった時に、誰もその事に意を払わなかったのか?
不思議でなりません。
プロデューサーもディレクターも、放送局も、スルーしてしまった感があります。
「クリスマスの約束」は、本来人の心に温かい贈り物であってほしいし、それを目指して造ってほしいものだと、皆が想って観るTVですよね。
投稿: チャーリー | 2010年4月17日 (土) 07時58分
小田さんの『ばばあ』発言やMCでの毒舌はファンにとってはひとつの楽しみにもなっていますが、TVなどで流れることでいろいろ批判も受けておられるようですね。でも、それを含めて全て小田さんなんですよね。あの言葉の奥にある愛情とか親しみとか・・あの場面を見ただけではもちろんわからないし、聞いた人はいい気分にはならないかもしれないけど・・・
それでもあえて言ってしまう・・それが小田さんです。ちなみに自分のことも『じじい』と呼んでおられます。少しでも小田ファンの思いが伝われば・・・と思ってコメントさせて頂きました。すいません。
投稿: | 2010年4月18日 (日) 08時57分
2分50秒と題されたメドレーの最後から2曲目の財津さんの「青春の影」のように、小田さんは、自分の大きな夢を追うことよりも、若きミュージシャンや音楽の捧げものに人生の最後を賭けることこそが、これからの彼の使命としているように思いました。
機会があれば、聞いてほしい試みです。
投稿: チャーリー | 2010年4月18日 (日) 20時17分