« 村上春樹 「走ることについて語るときに僕の語ること」 | トップページ | 吉瀬美智子さん ハガネの女 Round4 »

2010年6月12日 (土)

帰りの電車で、おじいさんに席を譲ることについて

金曜の晩、帰りの電車の席は一杯だった。新宿から湘南新宿ラインの下りに乗ったボクの左隣りに、続けておじいさんが立った。網棚にジャケットと荷物を置いてため息をつくおじいさんは、七十代だろうか、ハンチングを被っていた。前に座っているサラリーマンはふたりとも男性で、居眠りをした(ふり)をし、もう一人は本を読んでいる(ふり)をしていた。おじいさんの存在を認識していないというポーズに関しては、そのふたりには共通項があった。決して悪いことではない。一日を終えてくたびれて帰る途上のことである。せめてゆっくり座って帰りたいと思うのは自然なことだ。窓ガラスに写る隣りのおじいさんの存在が気になって、ボクは落着かなかった。ボクもまた前の人が空いたら座ろうと思って立っていた。おじいさんの前の人が空けばいいけれど、ボクの前の人が空いたら、ボクはおじいさんに席を譲るだろうか?多分譲ることだろう・・・そんな小さな葛藤を感じること自体少し嫌だった。立っている位置を変えようかと思った。そうすれば、そのおじいさんは、ボクの前とご自身の前の席ふたつのオプションを持てるから。ボクはボクで、内心葛藤することから、開放されるー。けれど結局ボクはそのままの場所にいようと決めた。横浜までの長い距離を、みるともなく目の前に座っているサラリーマンを見下ろした。自分よりおそらく数歳は年下の男たち。決して若くはない。しかし年老いているわけでもない。ボクは彼らの側にあるのだろうか?それとも・・・。そんなことを考えていると、ふっと亡くなられた筑紫哲也さんのことを思い出した。彼がこの場にいたら、居眠りをする(ふり)をしただろうか?と突飛な想像だった。おそらく躊躇せずに、あの笑顔をみせながら、あの低音の声で、おじいさんに席を譲ることだろう。その笑顔がみえた。その想像は、ボクに次の横浜で、自分の前のサラリーマンが席を空けたら、おじいさんに席を譲るために、この位置に立つことを選ばせるものとなった。やがて横浜に着き、想定通り、自分の前のサラリーマンが席を立ったので、おじいさんにお声をかけた。「お座りになられませんか?」そのおじいさんは、とてもうれしそうに席に座ってくれた。すると遅れておじいさんの前の居眠りしている(ふり)をしている人も席を立った。結局ボクはクロスして座ることができたのだった。おじいさんとそんなきっかけで話を始めることになった。小諸に旅をして帰路であるとのこと。一人旅の楽しさとその作法を話してくれた。こうして健康で一人旅を楽しめる幸せを語ってくれた。30分程の会話を楽しんで、ボクは先に降りることになった。おじいさんは「また、いつか」とおっしゃった。ボクは「どうぞゆっくりお休みください」と別れを告げた。

一週間の終わりに、あるいは疲れた時に、いつも神様は小さな試練をくれる。おじいさんの笑顔に癒されたのは自分の方。七十代になっても健康で楽しむ術(すべ)を持ったお年寄りになるという目標を、週末の電車で一人のおじいさんからボクは贈り物として手渡されたのだろう。

|

« 村上春樹 「走ることについて語るときに僕の語ること」 | トップページ | 吉瀬美智子さん ハガネの女 Round4 »

コメント

なんだか、気持ちがほわっと暖かく、優しくなって、ちょっとジーンとするエピソードでした…。席を譲るのに、筑紫哲也氏まで登場するのには、思わず笑ってしまいましたが、こうしてかきとめなければきっと忘れてしまうような感情が、もしかしたら、小さなダイヤモンドになるのかも知れませんね…。少なくとも私は、これから席を譲ったり、あるいはいずれ、譲られたりするたび、チャーリーさんのこの話、思い出して、クスッとわらうだろうな…。

投稿: タッチ | 2010年6月12日 (土) 12時30分

タッチさん

温かいコメントを、ありがとうございます。

日常でさりげない出会いがあって、そこから新しいことを学ぶということ一つをとっても、人はあらかじめ全てをわかっていたりはしないんだ、と悟ります。

頭の中で考えていることと、実際に行動してみて新たな局面がみえてくることを記録しておきたくて、こんな文章になってしまいました。

このおじいさんに教わったことは他にもあるのです。

例えば「借金はしないこと」と力説されておられました。事業を息子さんに継承して、今はひとり旅を楽しんでおられるーその途上で、私にも教訓を与えてくれたのでしょうね。

ありがたいことです。

投稿: チャーリー | 2010年6月14日 (月) 07時54分

またいつかー。
言われて嬉しい言葉ですね。
それは出会ったばかりの関係であったとしても
瞬時に好意がなければ発信されないと思うんです。
自分はなにか相手のかたにとってお役にたてているのだろうか?
求められずとも、こういうことをスマートに行動に移せる大人になりたいです。
人には親切、自分にも優しくありたいと思いました。

お言葉どおり、またいつか再会できるといいですね。

投稿: mami | 2010年6月18日 (金) 13時27分

mamiさん

人との出会いを振り返ってみますと、それによって人生が変ったり、豊かになったりするものだなあ、と今更ながら出会いの不思議を感じます。

逆に自分を困らせるような人との係わり合いにおいてすら、後になって学びの数々があったりして、そんなこともまた必要なことであったと思うのです。

ビヨンセの曲に、クロス・ロードを歌う曲がありました。


そのクロス・ロードで、これからも「またいつか」と挨拶を交わせる出会いを積み重ねたいですね。

投稿: チャーリー | 2010年6月19日 (土) 10時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 村上春樹 「走ることについて語るときに僕の語ること」 | トップページ | 吉瀬美智子さん ハガネの女 Round4 »