セカンドバージン 最終回を観終わって
夕べの最終回を観れなくて、今朝PSPに転送し電車の中で観た。
普通のTVプログラムと違うのは、他の乗客に「セカンドバージン」を観ていると知られたくないこと。
こういう形で終わるのか・・・男性としては、かなり複雑な思いになる最終回だった。
「女だけの都」という映画の題名を思い出した。
「セカンドバージン」がアラフォーの女性たちに本当に支持されたのか、わからないけれど、このドラマには脚本家の大石静さんの女性観、そして男性観、恋愛観が深く投影されているのだろう。
男性として複雑な思い・・・というのは、今の時代で「仕事か恋愛か?」という二元論で論じるのはあまり意味がないと思うので。
あるいは、るいさんは<支配>したかったのかもしれない。
経営のように、相手を。
欲望と恋愛、そんなテーマであれば探求するに値するのだろう。
るいさんは結局、幸せそうに笑ってドラマは終わる。
しかし男が滅んで女が栄える世界が幸福な世界だとは、誰も思っていないはず。
最後まで、るいさんの恋愛は欲望の化身のように見受けられた。
行(こう)さんには、自分自身の息子の存在を投影しているように見受けられた。
この「セカンドバージン」に、母性を象徴させる女性が出てこないのは、「欲望」を巡る思考実験にとって、「母性」は障害になるからなのだろう。
「原始、女性は太陽であった」という有名な言葉があるけれど、るいさんの太陽はアーティフィシャル(人工的)な太陽である。
男女のあるべき豊かな関係を考える者にとって、「セカンドバージン」は、かなり面白い題材を提供したと思う。
ボクは、その世界の住人にはなれないけれど・・・。
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