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2011年3月12日 (土)

地震 帰宅できなかった晩に

昨日の地震で、いわゆる「帰宅難民」になりました。

それは自分自身だけではなく、家族全員(四人)が別々の場所で被災して、帰宅できない晩を過ごしたこと。

そして幸いなことに、本日午後、全員が帰宅することができたこと。

あらためて報道で、凄まじい被害を知った

いや、知りつつあるところです。

言葉がない、です。

これは終わったことではなく、今もまだ続いていて、危機の最中にある人々があまりにも多くいる。

横浜で、ひとり過ごしている晩、同じ横浜にいる次男坊のことを、案じていた。

街頭のTVからは、凄まじい情報が流れていた。

凄まじい地震を体験し、それに巻きこまれ、家族の安否が取れない時間を過ごす時、TVで流れてくる情報は、できれば見たくなかった。

しかし情報は、知る必要があった。

消費される情報ではなく、自分と家族とを守るための有益な情報。

ボクには、目の前に広がる事態から得られる情報と、そして刻々かわる交通網の情報、そして自分の家族がいる場所の情報が、まず必要な情報だった。

けれど、その情報は、携帯も繋がらない事態の中で、あまりに少ないものだった。

ボクは、家族ひとりひとりの安全の確保を、祈る他なかった。

そして、家族ひとりひとりの行動を信頼しようと、心に決めた。

できることは限られていた。

ボクは、出来ることをしたろうか?

ただ眠らないで、目の前を通るかもしれない次男坊を、見逃さないぞ、という父親が横浜の雑踏の自分だった。

それが不合理だろうと、なんだろうと、そういうことをするのが、親なのだ。

明け方、そんな次男坊の姿をみつけた時、ボクにとって最も大切なものが何なのか?-それを痛感したのだった。

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