地震 帰宅できなかった晩に
昨日の地震で、いわゆる「帰宅難民」になりました。
それは自分自身だけではなく、家族全員(四人)が別々の場所で被災して、帰宅できない晩を過ごしたこと。
そして幸いなことに、本日午後、全員が帰宅することができたこと。
あらためて報道で、凄まじい被害を知った。
いや、知りつつあるところです。
言葉がない、です。
これは終わったことではなく、今もまだ続いていて、危機の最中にある人々があまりにも多くいる。
横浜で、ひとり過ごしている晩、同じ横浜にいる次男坊のことを、案じていた。
街頭のTVからは、凄まじい情報が流れていた。
凄まじい地震を体験し、それに巻きこまれ、家族の安否が取れない時間を過ごす時、TVで流れてくる情報は、できれば見たくなかった。
しかし情報は、知る必要があった。
消費される情報ではなく、自分と家族とを守るための有益な情報。
ボクには、目の前に広がる事態から得られる情報と、そして刻々かわる交通網の情報、そして自分の家族がいる場所の情報が、まず必要な情報だった。
けれど、その情報は、携帯も繋がらない事態の中で、あまりに少ないものだった。
ボクは、家族ひとりひとりの安全の確保を、祈る他なかった。
そして、家族ひとりひとりの行動を信頼しようと、心に決めた。
できることは限られていた。
ボクは、出来ることをしたろうか?
ただ眠らないで、目の前を通るかもしれない次男坊を、見逃さないぞ、という父親が横浜の雑踏の自分だった。
それが不合理だろうと、なんだろうと、そういうことをするのが、親なのだ。
明け方、そんな次男坊の姿をみつけた時、ボクにとって最も大切なものが何なのか?-それを痛感したのだった。
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