黒澤明と小津安二郎と 鎌倉 映画散策
6月30日、ひさしぶりに鎌倉を訪ねた。
鎌倉駅の駅舎には「武家の古都・鎌倉」へようこそ という看板があった。
鎌倉はかつての日本の首都で、七百年の武家社会はここから始まった。そんなことをあまり自覚せずに、四季折々の花々を愛で、由緒ある寺社仏閣を訪ねてきた。
サムライ、または禅(Zen)の首都であることを意識しだしたのは、鎌倉に世界的な映画監督・小津安二郎と黒澤明が眠っていることを知ったからである。
作風も思想も異なるふたりの巨匠をめぐる鎌倉散策をしたい。そう思った。黒澤の眠る「安養院」(あんよういん)から、小津の眠る北鎌倉の円覚寺へー。
日本映画を世界に知らしめた巨匠たちを追想する旅である。
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黒澤映画の中でも、とりわけ「七人の侍」が忘れがたい。物語としての魅力、映像のダイナミズム、名優たちの渾身の演技、そして黒澤の妥協を許さぬ作劇術・・・私には黒澤こそがサムライの末裔のように思える。
野武士に狙われる村は、鎌倉の天然の要害に似て、周囲を山で囲まれていた。最後の死闘はその村で氷雨の中で繰り広げられた。黒澤のドラマは熱く、そして最後に切ない。
黒澤映画のヒーローは、まず雄々しいサムライで、強く頼れる父性を彼は好んでいるようだった。黒澤神話は、彼自身が大いなる父性の持ち主だったことを語っている。
6月末の陽射しは厳しく、「野良犬」や「天国と地獄」の夏を思い出しながらバスを待った。
安養院。
鎌倉駅からバスでわずか数分の処に、その寺院はある。
墓所に向かう小路には石垣が組まれ、紫陽花が咲いていた。
黒澤映画によく描かれた城壁や砦の造型の数々。彼は造型の細部にこだわった。
ところで、黒澤にとってサムライはいったい何だったのだろう?
そんな問いが、ふと脳裏に浮かんだ。
彼こそサムライのように思える映画人だ。
黒澤の代表作「七人の侍」の最終シーンを、その時私は思い出した。
すでにサムライの時代は去った。そんなメッセージが、いくさの後に発せられる。いくさで倒れたサムライを弔うシークエンスを、若き黒澤は深い共感をこめて造型した。彼はサムライの挽歌をかなでた。
サムライを愛した黒澤は、後年、商業主義との戦いに辛酸を舐めることになる。その危機を若き黒澤はまだ知らない。
そして晩年の彼を支えたのは、日本人ではなく欧米の映画人たちであった。
黒澤が生み出した数々の映画、そして彼の波乱に満ちた人生。そして彼を敬愛した世界の映画人たち。今の世界の映画界は、黒澤の“教え子”たちによって支えられている。
黒澤の墓の前に佇み、祈った。
私は映画「七人の侍」に出会えたことの幸せを、黒澤に伝えたかったのだ。
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再び鎌倉駅に戻って、川喜多映画記念館に立ち寄った。
戦後ヨーロッパ映画を日本に紹介した川喜多夫妻。
世界の映画人との交友。
古都・鎌倉に彼らは住まい、彼らのもとに世界中の映画人が訪ねたという。
その住まいの跡地に、川喜多映画記念館は建っていた。
おそらく鎌倉は、多くの映画人を魅了した古都なのだ。
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ドイツの映画監督・ヴィム・ヴェンダースもまた、小津の面影を求めて鎌倉を訪れた。
旧川喜多邸(現・川喜多映画記念館)で、小津映画の常連であった笠智衆(りゅう・ちしゅう)氏のインタビューを、ヴェンダースは撮影した。
「ベルリン天使の詩」のエンドタイトルで、ヴェンダースはこう記した。
Dedicated to all the former angels,
but especially to
Yasujiro, Francois and Andrej (引用)
ヴェンダースは、小津(Yasujiro)に特別の敬愛の情を寄せる。
その小津安二郎もまた鎌倉に住んだ映画人のひとり。
小津の「東京物語」はヨーロッパで知られ、独特の映画世界とその様式は今もなお生き続けている。小津は、普通の人々の人生を、主に日本家屋の中で描き続けた。
淡々と、しみじみと、語られる言葉は穏やかで、静謐でさえある。
北鎌倉。
円覚寺。
そこに小津は眠っている。
ヴェンダースは、円覚寺のこの階段をのぼっただろうか?
小津の墓前に佇み、祈った。
彼の墓碑に刻まれた一文字。
「無」。
小津の映画に流れていた人生への諦観は、どこからやってきたのだろう?
それは禅(Zen)の思想につらなるものだろうか?
墓碑にある「無」の文字の存在感に圧倒された私は、円覚寺の山門傍のベンチに腰かけて、しばし小津について思った。
目の前の山門は、開かれているようにみえた。この世界に開かれている、とさえみえた。上部の構造に比べ、下部の門(ゲート)に相当する部分が複数の柱で構成され、風が渡るように、人は通り抜ける。その人の姿が見渡せる。
行き交い、通り過ぎる人の姿がよくみえる。それは、ある意味で、小津の映画のようだと思った。すべては見えているが、その実相はみえずにいる。それが人生さというように。
小津は、静かな転機の中にいる人々を描いた。そして、過ぎゆく時を慈しむ気配を映画に刻印した。
彼の映画そのものが日常の反復であり、その時間はらせんを描いているようだ。
その日常の反復が、ときとして無常になる。
山門を前に味わっている今この時の感覚と、小津の映画に流れる時間が等しいものに感じられた。
生も死もまた相対化された世界に、小津は生きている、そのように思えた。
私が小津の墓前で祈ったことを思い出した。
「あなたの映画は、これからの私の人生でより重要になることでしょう」・・・。
小津に告げたかったことは、そのことだった。
円覚寺をでる時、門をフレームにして、その奥に緑がそよいでいた。
映画のように。小津映画は、この門のように時の中に生きる人間世界を切り取った。
彼の映画の題名の多くは、季語であり、時そのものであった。
小津の映画がそうであるように、鎌倉の時間もまた静かに流れていた。
鎌倉を散策して得られたのは、ふたりの巨匠へのたくさんの問いかけだ。
その答えをこれからの人生でいくつ解き明かせるだろうか。
この散策は鎌倉でなくてはならなかった。
そしておそらく再び同じルートを私は辿るだろう。
その日が今から待ち遠しい。
(6.30.2011)
[アクセス]
●安養院 :鎌倉市大町3-1-22 鎌倉駅東口から京急バス・緑ヶ丘行「大町四ツ角」下車徒歩2分。
●川喜多映画記念館 :鎌倉市雪ノ下2-2-12 小町通りを八幡宮に向かい 徒歩8分。 HP
●円覚寺 :鎌倉市山ノ内 HP 横須賀線「北鎌倉駅」下車徒歩1分。
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コメント
久しぶりに訪問させていただき、色々読ませていただきました。
試験合格おめでとうございます。
努力なさった結果ですが、時々の訪問でも嬉しいです。おめでとうございます。
私は主に古い建物ブログなので、やはりここに
コメントさせていただきました。
投稿: yuriko | 2011年7月24日 (日) 17時43分
yurikoさん
お祝いのお言葉、ありがとうございます。
うれしいです。
8月の下旬に、二次試験の面接と実技に備えて、勉強を始めたところです。
人生には様々な季節がありますが、今は「お勉強」の季節、ということで、この2011年の夏は、それに捧げようかと。
いい夏って、障害のある夏かもしれませんね。
投稿: チャーリー | 2011年7月25日 (月) 21時13分