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2011年8月14日 (日)

映画「ツリー・オブ・ライフ」

そうか、

そういうことか。

ショーン・ペンに自分自身を投影してみると、この映画はとてもわかりやすいものになった。

自らの出生の場面を、自分はみることができない。

ブラピが赤ん坊の小さな足を愛でるシーンが印象的だ。

それは今のショーン・ペンが構成したイメージだとしよう。

愛されて育てられた幼年期。

厳格に育てられた少年時代。

慈愛にみちた母親。

長男としての宿命なのだろう。

しかし厳格な父親にも、本当は音楽家になる夢があった。

それを捨ててビジネスマンとして強くあれ、トップを目指せと自ら鼓舞してきた。

そして父親にあった挫折。

弟への消えぬ悔悟。

ショーン・ペンが映画の縦糸となって構成されている。

宇宙や地球の創生、進化の歴史もまた、最後の天上的な和解のイメージもまた、ショーン・ペン(=観客の視点)がいればこそ。

・・・

そのようなことを、映画を観てから二日後に気づいた。

ボクは、再びこの映画をみるだろう。

映画を観る視点がみつかったので、今度はショーン・ペンに自己投影して観て見よう。

この映画は、ドラマのバックボーンをほとんど語らない。

人生が、そもそも種明かしをしてくれないように。

秘密は、自ら解き明かさなくてはならない。

そういうものが、やがて宝物となる。

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