映画「ツリー・オブ・ライフ」
そうか、
そういうことか。
ショーン・ペンに自分自身を投影してみると、この映画はとてもわかりやすいものになった。
自らの出生の場面を、自分はみることができない。
ブラピが赤ん坊の小さな足を愛でるシーンが印象的だ。
それは今のショーン・ペンが構成したイメージだとしよう。
愛されて育てられた幼年期。
厳格に育てられた少年時代。
慈愛にみちた母親。
長男としての宿命なのだろう。
しかし厳格な父親にも、本当は音楽家になる夢があった。
それを捨ててビジネスマンとして強くあれ、トップを目指せと自ら鼓舞してきた。
そして父親にあった挫折。
弟への消えぬ悔悟。
ショーン・ペンが映画の縦糸となって構成されている。
宇宙や地球の創生、進化の歴史もまた、最後の天上的な和解のイメージもまた、ショーン・ペン(=観客の視点)がいればこそ。
・・・
そのようなことを、映画を観てから二日後に気づいた。
ボクは、再びこの映画をみるだろう。
映画を観る視点がみつかったので、今度はショーン・ペンに自己投影して観て見よう。
この映画は、ドラマのバックボーンをほとんど語らない。
人生が、そもそも種明かしをしてくれないように。
秘密は、自ら解き明かさなくてはならない。
そういうものが、やがて宝物となる。
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