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2011年9月12日 (月)

映画「砂の器」

TVでドラマスペシャル『砂の器』を観ていて、映画『砂の器』のことを思い出していた。

映画の印象があまりにも鮮烈で、それは記憶の中に刻まれていて、あるいは自分の一部になっているのかもしれない。

確か名画座であったと思う。

とても混んでいた記憶がある。

映画『砂の器』のクライマックスは、あの「宿命」のテーマに併せて、父子が日本の四季を旅する情景がカットバックされる処。

涙をこれ以上、絞らないで、と思う位、父子の情愛、そして差別に耐える子供の孤独と矜持が胸に迫った。

小学校の校庭で同世代の子供たちが遊戯をしている処を、離れて和賀(子役)がみている場面・・・。

加藤剛、緒方拳はじめ、名優たちの渾身の演技。

緑の山々を背景に、駐在所のお巡りさんを演じた緒方拳の制服の“白”がまぶしかった。

純粋な善意のこころ、それが白い制服に象徴されていたと、大人になって気がついた。

映画が偉大であればあるほど、TVで描かれる『砂の器』はその存在を問われることになるだろう。

厳しいリメイクのハードルである。

本当に問われるのは、なぜ今「砂の器」であるか?という根源的な問い。

ボクにとって、映画『砂の器』は、父子の絆、宿命を深く問う映画であった。

高度成長が置き去りにした家族の在り方、父性の不在を、あるいは製作者は無意識にこの作品に投影していたかもしれない。

父なき時代の悲劇・・・ボクにとって、それが『砂の器』だ。

再び映画を観たい。

TVドラマがきっかけとなって、日本映画の古典に回帰する・・・。

それは、とてもいいことだろう。

そう、映画『砂の器』は、“号泣映画”の極北にある。

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