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2011年12月23日 (金)

勇気づけられること

明け方、職場で出会った君に。

ありがとう

君は寝ていたね。

すれ違う時に、笑顔を交わしえあえた君に。

ありがとう

大変だったね、そう語り合える君に。

ありがとう

そして夜、帰る道すがら、出勤してくる君に。

ありがとう

笑顔が交差する。

今を生きている実感が浮かぶ。

疲れていても、ボクを前に進ませているもの。

頑張っている君たちの姿に、ボクは勇気づけられている。

今を生きる、

その生き方に様々な色合いがある。

今のボクに余裕はないことを認めます。

けれど、そのような時がある人生と、そうではない人生を選べと云われたら・・・。

ボクは迷わず今の人生を選ぶだろう。

君の笑顔に。

君の努力に。

君の痛みに。

そんな君に、少しでもボクの笑顔が役立つならば。

疲れていても、ボクは爽やかな笑顔を浮かべよう。

そうしよう。

今を生きる君に、ボクは勇気づけられています。

ありがとう

いずれ、時がすべてを解決するだろう。

そして、友情が残ることだろう。

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2011年12月13日 (火)

小田和正さんから学んだこと

小田さんの曲から、ボクはおそらくたくさんのことを学んだ。

「愛する」のではなく、「愛することに決める」こと。

「信じる」のではなく、「信じることに決める」こと。

<決める>という行為によって、舵をきる。

舵をきった以上、後には戻らない。

戻らない、と決めるのだ。

自分の人生で、自分の選択において、自分に責任を負う。

それが大人というものだろう。

今日、ボクが学んだことは、いくつかあるけれど、ひとつに絞れば、こういうことだ。

ボクは、愛することに決めたし、信じることに決めた。

そのような選択は、ボクの人生で珍しいことだけれど、そう決めた。

それは、あなたを信じる、ということに近いことです。

そういうことを、歌にのせて教えてくれた小田和正さん、ありがとうございます。

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2011年12月 8日 (木)

救急車に乗ったこと

もう身体は大丈夫なので、安心してこの記事を書いています。

ブログにこのことを書けないのなら、ブログを書く行為そのものが技巧的になってしまうと思ったので、書くことにします。

一ケ月近く激務が続いていて、あるタイミングで救急車を必要とする時がありました。

幸いなことにボクの身体は、大丈夫だった。

この体験そのものの意味を問う何日かを過ごしています。

ひとつは、もしもの世界をより近い処で感じたこと。

ふたつめは、激務を回避することができない時が、人生にはあるという自明のこと。

みっつめは、若い時と同じではないということ。

よっつめは、それでもこのような体験は自分にとって意味があると思えること。

経験や考えを整理するまでには至っていませんが、このように記しておけば、きっと考えを深めていく足掛かりにはなるでしょう。

昨日今日明日の中で、その日の危機はなかったものにしよう。

意識的に、その危機をボクは消し去るだろう。

けれど、内面では特別な体験として、この経験をボクは深めるだろう。

体験によって、恐れる気持ちを鎮めたい。

自分の身に起こることはすべていいことなのだ

(引用:「生きるチカラ」集英社新書 植島啓司 P200)

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2011年12月 1日 (木)

適応の最終段階

再就職をして、転職は適応の集合的体験である、と自ら定義して、自分の転職体験から学びを得ようと二ヶ月を過ごしてきた。転職という体験と、採用理由となった採用側のrequestに応えようとする努力が相まって、転職者は多少の試練を経験する。月面にランディングするためには多少の衝撃があるものだ。そう覚悟しながら、今を生きる。覚悟がないならば覚悟を遅まきながらしてもいい。そうやってボクもまたこの二ヶ月を過ごしてきた。そして今日、ボクは確信した。ボクは適応するだろうことを。その確信は不意にやってきた。適応は楽チンではない。価値観を変更しなくてはならないこともある。けれど世界は自分をこの変化に投げ込み自分に適応を求めることは受け入れるべきもので、また受け入れることの出来ることなのだ。選ばれた、ということはそういうことだと悟る。しなやかに自分を変える。喜んで変えてみせる。きっと良かったといえる日がもうすぐ来る。ボクの人生だ。

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