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2011年12月 8日 (木)

救急車に乗ったこと

もう身体は大丈夫なので、安心してこの記事を書いています。

ブログにこのことを書けないのなら、ブログを書く行為そのものが技巧的になってしまうと思ったので、書くことにします。

一ケ月近く激務が続いていて、あるタイミングで救急車を必要とする時がありました。

幸いなことにボクの身体は、大丈夫だった。

この体験そのものの意味を問う何日かを過ごしています。

ひとつは、もしもの世界をより近い処で感じたこと。

ふたつめは、激務を回避することができない時が、人生にはあるという自明のこと。

みっつめは、若い時と同じではないということ。

よっつめは、それでもこのような体験は自分にとって意味があると思えること。

経験や考えを整理するまでには至っていませんが、このように記しておけば、きっと考えを深めていく足掛かりにはなるでしょう。

昨日今日明日の中で、その日の危機はなかったものにしよう。

意識的に、その危機をボクは消し去るだろう。

けれど、内面では特別な体験として、この経験をボクは深めるだろう。

体験によって、恐れる気持ちを鎮めたい。

自分の身に起こることはすべていいことなのだ

(引用:「生きるチカラ」集英社新書 植島啓司 P200)

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コメント

知らぬこととはいえ、大変でしたね・・・
その後は大丈夫ですか?

少し違うかもしれませんが、私たち市民ランナーでも、
練習が自分のからだに合わないと、からだから悲鳴があがり、
しばらく休まざるを得なくなります。

”自分は故障知らず!”、まわりからどんなに言われても、
いざ自分で故障してみないとその意味はわからないんです(・・;)
(私もそうでした・・・)

どうぞ、お大事になさってくださいね(^-^)

投稿: みゆき | 2011年12月 8日 (木) 22時15分

最近、忙しそうだな、と思っていたら…。
よっつめが、今後のチャーリーさんを良い方へと連れて行ってくれますように。

でも私はついつい言ってしまいます。
くれぐれもお体は大切に。
がんばりすぎには注意して、お大事になさってください。

投稿: とーこ | 2011年12月10日 (土) 00時35分

週末にしかブログを読むことが出来ませんので、こんな事とは露知らずでした。今はもう快方に向かわれていることと祈念いたしております。
自分も2回ほど救急車に乗ったことがありますが、お互いに身体的には若くはないということを肝に銘じなくてはいけない年代ですので、ご自愛ください。
とはいっても、気持ちだけは20-30歳代のつもりで、まだまだ突っ走ってください。こんなことで老け込むことなく、共に頑張りましょう。

投稿: ROSASHONAN | 2011年12月10日 (土) 19時14分

みゆきさん

身体は、実に精妙にできているだけに、身体と精神や心を分離して考えられない気がしています。

身体を心が欺くことは意外と簡単だったりして、心底疲労していたりするのに気付かなかったりするものなのですね。

初めて乗った救急車は、最後に乗る救急車にしたいものです。

心身との対話、大切にしなくては、と反省!

投稿: チャーリー | 2011年12月10日 (土) 20時16分

とーこさん

本当に身体は大切にしなくては、なりませんね。

それを知っているのに、この世界では無理を承知で、今も大勢の人々が働いている・・・。

それでもなお、自分の身体は守ってあげなくてはなりません。

少しずつ、できることから、一歩一歩、自分の身体、大切にしてきますね。

ありがとう!

投稿: チャーリー | 2011年12月10日 (土) 20時22分

ROSASHONANさん

まさに、まさに、こんなことで老け込むわけにはいきませんね。

けれど、自分が若くはないということを受け入れなくてはいけないのかも・・・。

そんな体験、決して自分に無駄なことではありません。

働くことの喜び、このような経験を糧にして、ゆっくり歩んでいきたいです。

また一献、傾けられる日を、お楽しみにとっておきたいです!


投稿: チャーリー | 2011年12月10日 (土) 20時30分

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