ある面接
ヴィトゲンシュタインの言葉、 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」を、ふと思い出した。
ブログを書かないでいる間のこと、あるいはブログを書きたいとは思えなかったことについても、今は沈黙が相応しい。
いつか語れる日が来るかもしれない。その時を一番待ち望んでいるのは、自分自身かもしれない。
人は自分自身をつぶやく。
しかし、つぶやかないでいるのもまた、人間。
沈黙もまた、よし。
さて、ある面接を昨日受けた。
数日前にTVで観た映画「阪急電車」のテーマが甦った。
ボクの解釈では、この映画のテーマは、こうである。
人は人によって傷つくが、人によってしか癒されない・・・。
巧みな映画ではなかったが、そのテーマが出演者の好演によって伝わってきた。
そうだ、巧みな映画ではなくとも良い映画というものがある。
人生に巧みな人生というものがあるとすれば、それは良き人生であるだろうか?
巧みな人生を送ってはいないボクにはわからないことである。
さて、本論に戻ろう。
ボクが臨んだ、そのある面接で、面接官たちから熱いものを授かったような気持ちになって辞した。
ボクは、癒されたような気分のまま家路についた。
おそらく、面接官たちと自分との間に、ラポールが成立したからなのだろう。
同じ情熱のベクトルが共振したような思いがした。
いい時、でした。
面接には目的がある。
仮に双方の目的が合致しなくても、満ち足りた時があったという記憶があれば、いい。
それは、稀有なことである。
お互いの人生の時間を、交差させて、流れた時の一滴。
クロスロードで接近し、交差し、仮に遠ざかっていくとしても、生の記憶に刻まれるならば。
悔いは、ない。
その時の滴(しずく)に、癒された自分は、やはり幸せ者なのだろう。
追記:(5月12日に、気づいたことがあります。)
2006年の5月10日、ボクはこのブログを始めた。そのことに週末、気づいた。偶然とはいえ、再開した日と重なる5月10日。365分の1の奇跡、だろうか?
あるいは5月は、ブログにふさわしい季節かもしれない。
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コメント
私よりほんの少しだけ早くブログを始めたチャーリーさん。
私より先に6歳を迎えたチャーリーさん。
お久しぶりです。お元気でしたか?
語れなかったこと、いつか語りたいこと、私にもあります。
そういう場があることが、良いな、と思ったりもします。
何はともあれ、チャーリーさんにとっての挑戦が、幸せと共に進んでいることが非常に嬉しいです。
投稿: とーこ | 2012年5月11日 (金) 00時24分
とーこさん
コメント、ありがとうございます。
ブログを始めて、もう六年になるのですね。
ちょっとした感慨・・・ありますよね!?
時代も変わり、自分自身も変わりゆくこの数年、ブログが傍にあって伴走してくれていたのかもしれません。
すっかりオールド・メディアになったブログですが、チャーリーは、ツイッターよりも、フェイスブックよりも、そのオールド・ファッションが好きです。
これからの数年、その先で、また、とーこさんと語り合いたいですね。
いつも、いつも、ありがとう。
投稿: チャーリー | 2012年5月11日 (金) 21時42分