住宅ローン その経験
住宅ローンを払っている人は大勢いる。
ボクもまたその一人だ。
不動産を購入してローンを組む。
三十年前後の期間を、利子を含めて相当の金額を払い続けていく。
時代は変わる。
不動産が資産価値を高めていくという実感は、既にない。
時代は変わったのだ。
それでも払い続けている。
ボクの場合、それは社会的信用を維持し、金融機関との約束を守る営みに近かった。
若い頃は何とかなる、という思いが支配的だった。
しかしバブルの崩壊と失われた20年、そしてリーマンショックを経て、何とかならないこともあることを知った。
会社を変わっても、住宅ローンだけは、毎月決まった日に口座から引き落とされていく。
ささやかな誇りとすれば、一度たりともショートさせなかったこと。
何百回かの引き落とし額は、毎月決してささやかな額ではないのだ。
それを払い続けるために、働いているともいえる。
その終わりが、視界の中で見えてきた。
この住宅ローンの支払いの経験が、ボクに意味を持つのは、例えばこのようなことだ。
小さなヨットの船底についているバラストのように、現金を他の投機に走らせることなくバランスをとってくれた。
しかし、重りは重り。
身軽になって、今までの制約から開放されたい。
そして息子たちには、そのようなことも含めて教えてあげたいものだ。
この社会、国家も企業も、君たちのために何かをしてくれることは限られていることを。
価値観や制度や仕組に、人生を収奪されないように。
そのために、知性と智慧と、大人たちの失敗談が意味を持つことだろう。
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