« 大島渚監督 逝去の報 | トップページ | 伊集院静の「贈る言葉」 »

2013年1月17日 (木)

住宅ローン その経験

住宅ローンを払っている人は大勢いる。

ボクもまたその一人だ。

不動産を購入してローンを組む。

三十年前後の期間を、利子を含めて相当の金額を払い続けていく。

時代は変わる。

不動産が資産価値を高めていくという実感は、既にない。

時代は変わったのだ。

それでも払い続けている。

ボクの場合、それは社会的信用を維持し、金融機関との約束を守る営みに近かった。

若い頃は何とかなる、という思いが支配的だった。

しかしバブルの崩壊と失われた20年、そしてリーマンショックを経て、何とかならないこともあることを知った。

会社を変わっても、住宅ローンだけは、毎月決まった日に口座から引き落とされていく。

ささやかな誇りとすれば、一度たりともショートさせなかったこと。

何百回かの引き落とし額は、毎月決してささやかな額ではないのだ。

それを払い続けるために、働いているともいえる。

その終わりが、視界の中で見えてきた。

この住宅ローンの支払いの経験が、ボクに意味を持つのは、例えばこのようなことだ。

小さなヨットの船底についているバラストのように、現金を他の投機に走らせることなくバランスをとってくれた。

しかし、重りは重り。

身軽になって、今までの制約から開放されたい。

そして息子たちには、そのようなことも含めて教えてあげたいものだ。

この社会、国家も企業も、君たちのために何かをしてくれることは限られていることを。

価値観や制度や仕組に、人生を収奪されないように。

そのために、知性と智慧と、大人たちの失敗談が意味を持つことだろう。

|

« 大島渚監督 逝去の報 | トップページ | 伊集院静の「贈る言葉」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 大島渚監督 逝去の報 | トップページ | 伊集院静の「贈る言葉」 »