« デトックス 時には | トップページ | アカデミー賞授賞式を観て »

2013年2月25日 (月)

ゼロ・ダーク・サーティー

今日、アカデミー賞が発表される。

映画「ゼロ・ダーク・サーティー」は、どのように評価されるだろうか。

映画の出来栄えは秀逸だ。

2001年9月11日の米同時多発テロからビンラディン殺害までの十年間を、この映画はCIA情報分析官マヤを軸に描く。

CIAのIは、Intelligenceである。

この映画は、そのインテリジェンス(情報)についての映画だ。

ジェシカ・チャスティン演じるマヤは尋問の立ち会いも行って、収集された膨大な情報の分析に従事する。

ビンラディンの居場所を突き止めるまでには、ヒューマン・エラーも含め膨大な障害や挫折があり、地味で根気がなければ務まらない仕事であった。

執念とか狂気、とか通常の劇映画において描かれるようなステレオ・タイプで人物造型をしないのは、監督キャスリン・ビグローの知性である。

それを体現したジェシカ・チャスティンは、けれど十年の彼女の成長を演じることに成功している。

アルカイダの正義とアメリカの正義がある。

マヤはアメリカの正義の追求を、ビンラディンの居場所を突き止めるという任務において行った。

それは彼女の仕事であり、彼女の能力を発揮できる唯一の場であったかもしれない。

女性でこの映画を監督したキャスリン・ビグローが、監督することが彼女の仕事であり、彼女の能力を発揮できる唯一の場であるのと同じように。

マヤが最後にみせる表情。

(これは映画をみていない人には伏せておくのが礼儀だろう)。

そこに「終わった(Over)」という感覚と共に言語化しえない感情が漂う。

世界は依然として混沌としている。

アメリカという国がどんな国なのか?この映画はそれを示してくれる。

その意味で収穫だった。

けれど本当に興味深いのは、私たちの生きてきたこの十年を、リビング・ストーリーとして描いたこと。

ヒロイックな作り話ではない。

映画館を出れば、忘れられるお話ではない。

それぞれが自分の仕事を忠実に果たそうとしている世界に「ゼロ・ダーク・サーティー」は立っている。

それをたんたんとボクらはみる。

映画でしか体験できない形で。

その体験は、経験に昇華するかもしれない。

そのことが素晴らしい。

|

« デトックス 時には | トップページ | アカデミー賞授賞式を観て »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« デトックス 時には | トップページ | アカデミー賞授賞式を観て »