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2013年4月21日 (日)

米倉涼子 「35歳の高校生」

米倉涼子さんのコスプレ・ドラマだと思ってた。

しかし違いました。

シリアス・ドラマだ。

米倉さんのクールさがいい。

そのクールさがこのドラマのリアリティを形成している。

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今までの学園ドラマの構造は大概次の通りだった。

<熱血教師が活躍し問題を解決し、いつしか生徒たちの結束が深まっていく>

指導的立場にいる熱血教師。

オトナの世界は安定していて、倫理観も価値観も共有されている。

人生を知る「先生」=「師」は、まだ未熟な生徒たちを諭し、導いていく・・・。

そんな構図だ。

そんな昔が懐かしい。

いや、それは昔でも夢物語であったかもしれない。

現実にはないから、虚構のドラマとして成り立っていたのかもしれない。

ボクたちが高校生であった頃を思い返してみた。

すでに大人の世界の欺瞞を見抜いていた自分。

教師たちはその大人の世界の住人で、ボクたちは優等生を装って過ごしていたように思う。

ボクは優等生にもなれなくて、教室の外をみていた。

高校生は、すでに半分大人で半分子供である不安定な存在なのだ。

高校生は、大人たちの造った社会の影響を受けて生きている。

親たち(大人たち)をみている高校生は、親たちの夢に希望を見出しているのだろうか。

昨晩は、いじめいじられをテーマにドラマは展開した。

高校生の世界はそのまま大人の世界を反映していて、そこには強者と弱者がいる。

すぐに立場が逆転するような危うさの中で、まず自分を守るために他人を貶める。

貶めれば、あるいは同調すれば、自分の立場が守られるという錯覚。

そんな構図がみてとれた。

そしてこのドラマでは教師も無力な存在だ。

けれど、米倉さんは35歳の人間力を武器に、高校生の世界を上から目線ではなしに視る。

ここが、このドラマの新しさだ。

米倉さんはスーパーウーマンかもしれない。

けれど、それは知性や理性をチカラに出来るオトナ、思いやりや愛情のあるオトナの本来あるべき姿でもある。

熱血教師の時代は、このドラマによって終わるだろう。

『35歳の高校生』はだから面白い。

米倉涼子さんには魅力がある。

オトナなのだ。

●35歳の高校生 hp

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