米倉涼子 「35歳の高校生」
米倉涼子さんのコスプレ・ドラマだと思ってた。
しかし違いました。
シリアス・ドラマだ。
米倉さんのクールさがいい。
そのクールさがこのドラマのリアリティを形成している。
今までの学園ドラマの構造は大概次の通りだった。
<熱血教師が活躍し問題を解決し、いつしか生徒たちの結束が深まっていく>
指導的立場にいる熱血教師。
オトナの世界は安定していて、倫理観も価値観も共有されている。
人生を知る「先生」=「師」は、まだ未熟な生徒たちを諭し、導いていく・・・。
そんな構図だ。
そんな昔が懐かしい。
いや、それは昔でも夢物語であったかもしれない。
現実にはないから、虚構のドラマとして成り立っていたのかもしれない。
ボクたちが高校生であった頃を思い返してみた。
すでに大人の世界の欺瞞を見抜いていた自分。
教師たちはその大人の世界の住人で、ボクたちは優等生を装って過ごしていたように思う。
ボクは優等生にもなれなくて、教室の外をみていた。
高校生は、すでに半分大人で半分子供である不安定な存在なのだ。
高校生は、大人たちの造った社会の影響を受けて生きている。
親たち(大人たち)をみている高校生は、親たちの夢に希望を見出しているのだろうか。
昨晩は、いじめといじられをテーマにドラマは展開した。
高校生の世界はそのまま大人の世界を反映していて、そこには強者と弱者がいる。
すぐに立場が逆転するような危うさの中で、まず自分を守るために他人を貶める。
貶めれば、あるいは同調すれば、自分の立場が守られるという錯覚。
そんな構図がみてとれた。
そしてこのドラマでは教師も無力な存在だ。
けれど、米倉さんは35歳の人間力を武器に、高校生の世界を上から目線ではなしに視る。
ここが、このドラマの新しさだ。
米倉さんはスーパーウーマンかもしれない。
けれど、それは知性や理性をチカラに出来るオトナ、思いやりや愛情のあるオトナの本来あるべき姿でもある。
熱血教師の時代は、このドラマによって終わるだろう。
『35歳の高校生』はだから面白い。
米倉涼子さんには魅力がある。
オトナなのだ。
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