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2013年5月30日 (木)

梅雨入りしたとみられる

関東は予想通り昨日「梅雨入りしたとみられる」そうだ。

「梅雨入りした」ではなくて、梅雨入りしたと“みられる”という表現が興味深い。

“みられる”ーそれは誰がみたのだろうか?

梅雨入りしていないと判断する人がいて、多数決できめたのだろうか?

自信がないのだろうか?

「梅雨入りした」と言い切って、後で外れたと判った場合に、“みられる“といったでしょ、と言い訳しそうな気配が漂う。

本当は、“みられる”とした根拠を示すべきだろう。

判定を下し公表する情報には、責任の所在が求められる。

責任者は、天気予報が当たっても、当たらなくても、その発表に真摯に向き合うべきだ。

この発表を承認したことに対して、責任は発生している。

この表現を公式見解としたところにも、責任は発生している。

なぜならば、みんなが「梅雨入りしたとみられる」だってさあ、と話題にしているからだ。

なんだか他人事のような言い回しだ。

このような曖昧表現が増えていかない社会であってほしい。

「私は、梅雨入りしたとみなしています」といってほしい。

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