村上春樹さん そして 多崎つくる
河出書房新社から緊急出版された評論集「村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をどう読むか」を半分位読みすすめてきた。
さまざまな書評にふれることができて、興味深い。
約三十人の批評家の集合的無意識を、自分なりにつかんでみたい。
なるほど、と思うこともあり、なんてことを、と思うこともある。
つまり、勝手なものなのだ。好き放題いわれることを、村上春樹さんは許容している。
どのように鋭利に『多崎つくる』に斬り込んでも、村上春樹さんと拮抗する位の闇を抱えていなければ、それは村上春樹さんの手のひらにのって遊んでいることになる。
むしろ一般読者の感想を読んでみたくなった。
100万部を超える社会現象を起こすことが、作家・村上春樹さんに与える影響を考えてみたりする。
確か、そっとしておいてほしい、と村上さんは云った。
物語をつくる村上春樹さんと、駅をつくる多崎つくる君。
父と子のような関係かもしれない。
息子の「つくる」を父親である村上さんは、見守っている。
村上春樹さんの小説家としての工芸品をつくるような緻密な技法と、無防備にあらわれる村上春樹さんの無意識、オブセッション。
安全地帯に身を置いて量産する作家と異なって、村上春樹さんは『つくる君』の経験したような人生のクライシスを物語の世界で探求しているかにみえる。
自己探求は、現在進行中なのだろう。
19章で、開かれた形で終わったこの最新作。
きっと20章を父親・村上春樹さんと息子の『つくる君』は今歩んでいるに違いない。
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