半沢直樹 最終回
きっと続編がつくられる、そんな終わり方だった。
それにしても楽しませてもらいました。
リアリズムが、時として歌舞伎のような外連味(けれんみ)ある芝居に置き換わる面白さ。
いい役者揃いで、見世物になっていた。
“百倍返し”がでたのは番組開始して38分後、水戸黄門の印籠が出るよりも少しは早い。
そうか、水戸黄門のTBSでした。
取締役会のシークエンスが、悪代官の悪行が暴かれる場面になった。
リアリズムで支持している半沢直樹が、銀行批判を始めた頃、「そうじゃないだろ、君が倒すのは、この常務だろ?」と思わず、半沢直樹の論点の分散に残念がる自分がいた。
歌舞伎ならば、あの場で土下座をさせても良いけれど。
しかし歌舞伎役者が魅せる土下座のパフォーマンスだ、ファンタジーとしてそこが見せ場になるのだ。
そして、そこに半沢直樹の一線を超えてしまった部分が表出される。
私怨が彼を動かしている。
組織は組織を壊さぬようにする。
半沢直樹は、私怨のために組織を壊してもいとわぬところがあった。
だから、「そこまでで、いいだろう」と咎められたなら、ひきさがるべきだったのだ。
リーマンならば。
組織は自らを組織化する者のためにあるのだろう。
“倍返し”を支持した大衆は、組織の中で何物かに耐えながら日々を送っている。
だから、半沢直樹の“倍返し”に胸のすく思いをした訳だ。
だけど組織までは壊そうとは思っていない。
そこのギリギリの虚実皮膜論。
近頃、こんなに大見得をきる芝居は久しぶりだ。
堪能しました。
少し悔しいのは、戦うならば一撃で相手を叩きのめしてほしかったこと。
相手に手の内をみせるような言動は、慎んでほしかったこと。
半沢直樹に勝ってもらいたかったのが、大衆の願望であったから。
ドラマの最後にその願望を裏切らなくても、良い。
現実は、ほとんどの場合、権力から“倍返し”を受けるのは、大衆なのだから。
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