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2013年9月22日 (日)

半沢直樹 最終回

きっと続編がつくられる、そんな終わり方だった。

それにしても楽しませてもらいました。

リアリズムが、時として歌舞伎のような外連味(けれんみ)ある芝居に置き換わる面白さ。

いい役者揃いで、見世物になっていた。

“百倍返し”がでたのは番組開始して38分後、水戸黄門の印籠が出るよりも少しは早い。

そうか、水戸黄門のTBSでした。

取締役会のシークエンスが、悪代官の悪行が暴かれる場面になった。

リアリズムで支持している半沢直樹が、銀行批判を始めた頃、「そうじゃないだろ、君が倒すのは、この常務だろ?」と思わず、半沢直樹の論点の分散に残念がる自分がいた。

歌舞伎ならば、あの場で土下座をさせても良いけれど。

しかし歌舞伎役者が魅せる土下座のパフォーマンスだ、ファンタジーとしてそこが見せ場になるのだ。

そして、そこに半沢直樹の一線を超えてしまった部分が表出される。

私怨が彼を動かしている。

組織は組織を壊さぬようにする。

半沢直樹は、私怨のために組織を壊してもいとわぬところがあった。

だから、「そこまでで、いいだろう」と咎められたなら、ひきさがるべきだったのだ。

リーマンならば。

組織は自らを組織化する者のためにあるのだろう。

“倍返し”を支持した大衆は、組織の中で何物かに耐えながら日々を送っている。

だから、半沢直樹の“倍返し”に胸のすく思いをした訳だ。

だけど組織までは壊そうとは思っていない。

そこのギリギリの虚実皮膜論。


近頃、こんなに大見得をきる芝居は久しぶりだ。

堪能しました。


少し悔しいのは、戦うならば一撃で相手を叩きのめしてほしかったこと。

相手に手の内をみせるような言動は、慎んでほしかったこと。

半沢直樹に勝ってもらいたかったのが、大衆の願望であったから。

ドラマの最後にその願望を裏切らなくても、良い。

現実は、ほとんどの場合、権力から“倍返し”を受けるのは、大衆なのだから。

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