「今夜は、ステーキ」
帰宅途中に家からメールをもらった。
そのフレーズの後に、クラッカーの絵文字が三つ続いてる。
これは目出度い。
ステーキは、“素敵”なのだ。
頻繁にステーキを食べている家庭ならばともかく、我が家では野菜を中心に、魚、鶏、豚、牛がローテーションされる。
牛肉をステーキで食べるのは、何か特別感が漂う。
聞いてみると、サーロインの国産牛が特別奉仕価格であったから、という。
有難い。
鉄板で、自分で焼き、食べました。
堪能しました。
アメリカのレストランで、人々の食べているステーキが、厚みといい大きさといい、ハンパないことに驚いた記憶。
ハワイで、次男坊と浜辺に面したレストランで、400gのニューヨーク・ステーキを炙って食べた記憶。
故・黒澤明監督が、ビフテキのような映画をつくりたいと云った記憶。
そういえば、いつのまにか、ビフテキという言葉は使われなくなったっけ。
牛肉と焼肉は、やはりどこかが違ってる。
ステーキを食べた後に思う。
身体がまず暖まる。
幸福感が増すのは、牛肉に含まれる成分によるらしい。
なんだか元気が充填されたような感じがする。
ぐっすり眠った今朝は、身体が少しラクになっていた。
きっと、ステーキは、お薬なのだ。
男の子を育てる過程で、肉の果たす役割は大きい。
子供たちが、肉にかぶりついているのをみると、太古の遺伝子が喜ぶのかもしれない。
狩りをして、お父さんは射止めた肉を、お腹をすかした家族の前に差出す。
火を囲み、公正に切り分けられるのを静かに待つ。
そして、火にかざして肉を焼き、ほおばる。
やがて子供たちは成人し、狩猟にでていく。
そんな家族の歴史が、繰り返される。
また、お願いします。
時にはサーロインを、ね。
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