村上春樹さんのノーベル賞は
本当は、もっとずっと前に受賞すべきものであったかもしれない。
歴史に「もしも」はないけれど、村上春樹さんはもはやインターナショナルな作家なのだ。
ノーベル賞のアカデミーが“見出す”タイミングとしては、『ノルウェーの森』あたりであったかもしれない。
昨年は中国の作家であったから、今年はアジアの国からの受賞はないだろうと思っていた。
そして、カナダの作家が受賞した。
グローバルではなく、ローカルな文学からの選考という話を昨年記事で読んだ。
本当かどうかは、わからない。
しかし妙にリアリティがある。
村上春樹さんの文学は、すでにグローバルになっている。
ノーベル賞の他の部門では、人類の叡智と将来への貢献が、賞の選考基準になっているように感じる。
これに倣えば、地域性よりも人類全体への視野を持つ村上春樹さんは、充分該当するのだが。
大勢の読者に読まれていること、地球規模で。
蒔かれる種子と実る収穫を思えば、すでに村上春樹さんの文学は地球規模である。
いずれ、いつか、村上春樹さんがノーベル賞を受賞する時がくるかもしれない。
しかし、それは遅きに失したことだろう。
TVのニュースで、ハルキストのカウントダウンの模様や紀伊國屋書店の書店員のインタビューを観ていて、ほほえましかった。
村上春樹さんは、賞をとるために小説を書いているのではないことが、うれしい。
あなたのために、そしてボクのために書いてくれていることが、うれしい。
昨年の今頃、祈るような気持ちであったことが、懐かしい。
「どうか、そっとしておいてほしい」
「イリオモテヤマネコのように」
そんな声が聴こえてきそうな朝。
三連休まで、あと一歩の10月11日の朝です。
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