映画『ザ・マスター』
この映画を観ると、あるいは少し体調が悪くなるかもしれない。
『ゼロ・グラビティ』3D版を観て体調が悪くなったのは、高所恐怖症と水平軸と垂直軸が揺らぐからである。
原因ははっきりしている。
それでは、『ザ・マスター』の方は、どうか?
ハートが揺さぶられるからだろう。
感動という、わかりやすい情動ではない。
救い難い主人公、ホアキン・フェニックス演じる元兵士の壊れぶりに、この映画全編を通じて付き合ったからだ。
救い難い男が、それでも救われたいとあがく様が、なんとも凄い。
淀川さんが生きていたら、「すごいですね〜。怖いですね〜」とおっしゃることだろう。
映画芸術の粋が、そこにはある。
射しこむ光。
希望ある黄昏。
絶望的な朝靄。
アメリカらしいプラグマティズムに貫かれたカルトは、コーチングやカウンセリング、精神分析からユングのパクリ等、心理療法のクラムチャウダー状態の教義を、セッションを通してみせる。
『マグノリア』のトム・クルーズも、そういえば、そんなカルトの一端を表現していたっけ。
カルトを率いるザ・マスターと、壊れかけた主人公との魂のネットワークの曰く言い難い生々しさ。
親鸞だったろうか、「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」という言葉を想起した。
よくこのような映画が、造られたものだ。
よくファイナンスされたものだ。
ボクは、しばらくしたら、再見することだろう。
免疫をつけたい。
まだ、映画が醸し出す毒気が抜けきれない。
映画館で観た人は、さぞかし大変であったろうなあ。
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