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2014年1月20日 (月)

映画『ザ・マスター』

この映画を観ると、あるいは少し体調が悪くなるかもしれない。

『ゼロ・グラビティ』3D版を観て体調が悪くなったのは、高所恐怖症と水平軸と垂直軸が揺らぐからである。

原因ははっきりしている。

それでは、『ザ・マスター』の方は、どうか?

ハートが揺さぶられるからだろう。

感動という、わかりやすい情動ではない。

救い難い主人公、ホアキン・フェニックス演じる元兵士の壊れぶりに、この映画全編を通じて付き合ったからだ。

救い難い男が、それでも救われたいとあがく様が、なんとも凄い。

淀川さんが生きていたら、「すごいですね〜。怖いですね〜」とおっしゃることだろう。

映画芸術の粋が、そこにはある。

射しこむ光。

希望ある黄昏。

絶望的な朝靄。

アメリカらしいプラグマティズムに貫かれたカルトは、コーチングやカウンセリング、精神分析からユングのパクリ等、心理療法のクラムチャウダー状態の教義を、セッションを通してみせる。

『マグノリア』のトム・クルーズも、そういえば、そんなカルトの一端を表現していたっけ。

カルトを率いるザ・マスターと、壊れかけた主人公との魂のネットワークの曰く言い難い生々しさ。

親鸞だったろうか、「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」という言葉を想起した。

よくこのような映画が、造られたものだ。

よくファイナンスされたものだ。


ボクは、しばらくしたら、再見することだろう。

免疫をつけたい。

まだ、映画が醸し出す毒気が抜けきれない。

映画館で観た人は、さぞかし大変であったろうなあ。

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