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2014年3月10日 (月)

虚像と実像と

テレビが生みだした虚像が肥大化し、一人歩きを始めることがある。大衆を巻きこみ巨大なムーブメントが出来る。

そんな事案があった。

虚像の化けの皮が剥がれた時に、またもやテレビは群がって長時間報道やバラエティでその虚像を使い回す。

虚像とテレビは、共生関係なのだろう。

視聴率が取れれば良いのか。

そういう訳でもないだろう。

テレビが犯した誤りを棚にあげ、虚像に鞭打つタレントや芸能人をみていると、この国のテレビはこの程度のレベルなのかと情けない気持ちがしてくる。

笑うに笑えないことが、世の中にはある。

何故、テレビは簡単に欺かれるのか?

何故、その後の責任の所在が曖昧なのか?

誰が一番得をして、誰が一番苦しんでいるのか?

この虚像が実像として再登場した時に、この世にはもはや虚像は消えてなくなったと感じた人も多いのではないか?

しかし、そうではない。

また別の虚像が、捏造される。

感動の物語という形を借りて、いつでもどこにでも、そんな虚像は生まれることだろう。

真贋の眼をテレビが持てないならば、テレビをきって、自分の眼を磨くしかなくなる。

いや、そうせよ、との神託が下った事案だったのかもしれない。

あまりにもお粗末な実像の姿をみていて、哀しい。

みんなが創り出した虚像だ。

ボクは、虚像に対しては、ほとんど何の興味も関心もわかなかった。

無関心こそ、虚像が最も恐れることなのだ。

一年後に、また別の虚像につかまらないように。

そして、とっとと虚像と虚像を生み出したものたちは責任をとるように。

みんなが気持ちよく忘れられるように。

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