3.11 あの日のこと
あの日から三年が経った。
今でも、あの日のテレビはみれない。
あの晩も横浜駅の大型テレビモニターには人だかりが出来ていた。ボクはそれを遠くから眺めていた。しかし見ることができなかった。
次男坊が、横浜のどこかにいた。
当然ながら連絡もとれずにいた。
予備校のある一帯は地盤がゆるみ封鎖されていた。
コンビニの棚は空になり、ソイジョイを何本か買って次男坊のいそうなところを探した。
最後は地下街に座りこんで、通過する人々の中に、次男坊の姿を探した。
暖房が止まった。
JRの改札口にシャッターが降ろされた時のことを、おそらくボクは一生忘れない。
大勢の帰宅難民者が、肩を寄せ合うようにしていた。
地下街で夜を明かした。
静かで、寒い晩だった。
携行しているPCはつけなかった。
今思えば、情報に打ちひしがれてしまうのを恐れていたのだろう。
ボクの家族は、それぞれの場所で、おそらく頑張ってくれているだろう、それを信じていた。
心から信じていた。
そして同じ時刻に、それぞれがそれぞれの場所で最善を尽くしていたことを後になって知った。
一番年下の次男坊が同じ横浜にいる。
どうしているか、気がかりだった。
一睡もしない夜が明けた。
人のあふれるコンコースの中で、壁際に独り佇む次男坊の姿を見出した時のことを、ボクは一生忘れない。
ボクはその時、職を失っていたが、仕事を求めて活動していたし、資格の勉強もしていた。
自分の意志で動ける自由。
それは恵まれていること。
あの日から三年が経つ。
ボクは、家族を以前よりも大切にするようになったのに気がついた。
そして、息子たち。
彼らに伝授したいことが、まだまだある。
それを果たしたい。
この命を大切にして。
三年経って、やっとこの私的な事柄を、記せる自分がいる。
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