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2014年9月26日 (金)

友の逝去の報に接して

今週の月曜日、昔の仲間からメールをもらった。

恐れていた知らせ、友の逝去の一報だった。

身内で葬儀を執り行うということで、ボクは友の死を弔う場すら与えられないまま今日に至っている。

様々な感情が浮かんでは消える。

無理を押して、会っておけば良かった。

何故、ボクのメールに返信をくれなかったのか?

友が最後の時をどのように生き、そしてその時を迎えたのか、ボクは、知らないままでいる。

Facebookでは、いろいろな人々が友の死を悼んでいる。

それを読むボクは、複雑な思いに駆られる。

ボクはそのようなメッセージを発することが出来ずにいるままだ。

限られた友人に知らせて、ボクは、ひとりでこの感情を抱えたまま、日々を送った。

仕事をし、そして週末の今夜を迎えた。

友が果たせたこと。

友が果たせなかったことを思う。

そして、思う。

きっとどんなに素晴らしい人生であっても、まだ生きようとしている人には悔いは残るかもしれない、と。

最後が安らかであってほしい、それはボクの祈りであるが。

そしてボクは、生きる。

よくわかったのだ。

ボクは、その友が好きだったのだ。

勝手に死んでしまったことを、ボクは許せない。

きっといつまでも許しはしないだろう。

時が必要なのだろう。

友の思い出を語り合える昔の仲間に、いずれ会える。

ボクは穏やかな自分を取り戻せるだろうか。

悔しさや哀しみや痛みや後悔。

きっと生きるということは、すべてを受容して前に進んでいくことなのだ。

友を穏やかに思い出せるようになるまで。

ボクは、あなたのことが本当に好きだったのだ。

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コメント

チャーリーさんより何世代も若い私が言うのは差し出がましいかもしれませんが、私にも似たような経験とそこから得たものがあったので、お話させて下さい。

私事ですが、長年お世話になった先生の訃報を手紙で知り、その後しばらくモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、1年近く過ごしたことがあります。
私の場合は時間も必要でしたが、お墓参りに行き、そこで親族の方から、私の知らない最後の時期の様子を聞くことができたことが、心のモヤが晴れたきっかけでした。私にとって墓参りが、故人を弔うための行動で、それで気持ちが晴れたのだろうと、今はそう思っています。

チャーリーさんの気持ちが落ち着く形で、ご友人を弔うことができますように。亡くなられたご友人のご冥福とともにお祈り申し上げます。

投稿: かめる | 2014年9月30日 (火) 00時08分

かめるさん

ありがとうございます。

告別式等の葬儀によって、人は哀しみに形を与えることが出来るのでしょうね。

今は。

チャーリーは、形を与えられぬまま、弔おうと思います。

それもまた一つの別れの形かもしれません。

よりよき日常を過ごすことが、悼むことにつながることかもしれません。

逝ってしまったことを許さないという思いもまた、悼むことかもしれません。

物わかりの悪い大人でいようと思います。

生と死の境(さかい)を、ボクはしっかり生きなくては。

そんなことをチャーリーは考えています。

かめるさん、ありがとう。

投稿: チャーリー | 2014年9月30日 (火) 20時17分

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