朝日新聞の記者たちは
今日を、そして今日までを、どのような思いで生きているだろう?
そして明日から、どのような思いで生きて行くのだろうか?
マスコミを志す学生の多い大学で、同じくマスコミの一角に社会人としての第一歩をボクは踏み出しました。
だから、マスコミ人としての志をボクもまた持って、仕事を始めた。
出世や名誉のためでなく。
世のため、人のために。
そこには、ロマンがあるだけだった。
出世を求めてマスコミに進む等、考えたこともない自分は、おそらくエリートではなかったのだ。
天下の朝日新聞が、沖縄の海で珊瑚の偽装記事をスクープしそれが発覚した時、ボクはダイバーとして、朝日新聞に引導を渡した。
エリートのすることは違う。
無から有をつくれるのか。
創造主のようだ。
そんな手柄は、この世界では現世でメッキが剥がれるものと相場が決まっている。
記者として、きっと頑張っている大勢の朝日新聞のマスコミ人がいる。
きっと辛い季節がこれから続くだろう。
けれどペンのチカラで、取材もせずに、裏もとらずに、調書をつまんで情報操作して、死者に鞭打つような記事を掲載したシステムに所属しそこから給料を貰い生計を立てているのならば、自浄作用を発揮するしかない。
本当のことを、恐れず報道してほしい。
ボクは、ホテルに泊まっても、新聞は朝日新聞以外ならばOKですと云うようになった。
そんなボクに、朝日新聞をお願いします、と云わせてほしい。
永い歳月がかかるだろう。
けれど、信用というものはそのようにして回復されるものだ。
沢山のバッシングなどよりも、謝った報道で辛酸を舐めている人々が今も数えきれずいることに思いをいたすならば。
当然のことが明らかになっただけのことだ。
そう思うボクは、おそらくサイレント・マジョリティです。
新聞にフィクションはいりません。
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