« 適応の段階について | トップページ | まいにちマルシェ »

2015年6月24日 (水)

映画「紙の月」

宮沢りえさんの女優魂をみた。

それだけで観る価値のある映画。

愚かしい話だ。

けれど、宮沢りえさんの存在感は、モラルや倫理的な規範を軽々と乗り越える。

人間って、これ程愚かで度し難い存在なのか。

されど生きたい存在なのか。

彼女の肉体が説得する。

昔、三和銀行の事件でマスコミの注目を浴びた女性を思い出した。

YouTubeで検索しても、その画像は出てこない。

確か、マニラに逃亡した。

そこでTVの取材に応じた実在の女性。

マニラの光が、レンブラント・ライティングのように射していた。

うっすら汗ばんでいた。

国外逃亡した犯罪者が、愛という名のもとに浄化しているような稀有な映像。

その映像が、この映画、このドラマの地下鉱脈に横たわっている。

そう思う。

最初は、愛の渇きなのかと思った。

しかし、そうではない。

人間存在の渇き。

生きることへの渇き だ。

やっかいな業(ごう)である。

抑圧的な職場や社会の中で、登場人物たちは、決してシアワセに生きてはいない。

主人公もまた、どれだけ蕩尽しても、自らの渇きはいえない。

若い男はどんどん堕落していく。

愚かしい愚か者の物語。

しかし、愚かでない人が、この世にいるのだろうか?

そう逆説的に問いたくなる映画。

二度とボクはこの映画を観なおさない。

しかし、この映画の中に生きている宮沢りえさんの栄誉を讃えたい。

素晴らしい演技だ。

生命力は、モラルを乗り越え、そこに存在する。

|

« 適応の段階について | トップページ | まいにちマルシェ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 適応の段階について | トップページ | まいにちマルシェ »