映画「紙の月」
宮沢りえさんの女優魂をみた。
それだけで観る価値のある映画。
愚かしい話だ。
けれど、宮沢りえさんの存在感は、モラルや倫理的な規範を軽々と乗り越える。
人間って、これ程愚かで度し難い存在なのか。
されど生きたい存在なのか。
彼女の肉体が説得する。
昔、三和銀行の事件でマスコミの注目を浴びた女性を思い出した。
YouTubeで検索しても、その画像は出てこない。
確か、マニラに逃亡した。
そこでTVの取材に応じた実在の女性。
マニラの光が、レンブラント・ライティングのように射していた。
うっすら汗ばんでいた。
国外逃亡した犯罪者が、愛という名のもとに浄化しているような稀有な映像。
その映像が、この映画、このドラマの地下鉱脈に横たわっている。
そう思う。
最初は、愛の渇きなのかと思った。
しかし、そうではない。
人間存在の渇き。
生きることへの渇き だ。
やっかいな業(ごう)である。
抑圧的な職場や社会の中で、登場人物たちは、決してシアワセに生きてはいない。
主人公もまた、どれだけ蕩尽しても、自らの渇きはいえない。
若い男はどんどん堕落していく。
愚かしい愚か者の物語。
しかし、愚かでない人が、この世にいるのだろうか?
そう逆説的に問いたくなる映画。
二度とボクはこの映画を観なおさない。
しかし、この映画の中に生きている宮沢りえさんの栄誉を讃えたい。
素晴らしい演技だ。
生命力は、モラルを乗り越え、そこに存在する。
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