民主主義的な独裁者
“民主主義”と“独裁者”は相いれない。
けれど民主主義のルールを守りながら“独裁者”になれる道があることを今日知った。
独裁者を支持したのは歴史を紐解くまでもなく、民衆だ。
民衆の負託に応えるという大義を、独裁者は掲げる。
しかし民意に耳を貸したりはしない。
民意を聴くふりをする。
しかし本当は自分のやりたいことをする。
“悲願”を形にする。
そうやって憲法もまた安々と乗り越えていいものなのか。
思うがままなのか。
民意によって選ばれたから?
念願の事をした訳だ。
そうやって戦争出来る体制がつくられる。
戦争出来る体制は、他の国、少しジョークが過ぎるかもしれないが宗主国のリクエストに応えるためだ。
戦争になった時には応分の負担をする。
戦費 だけではなく。
命 もまた・・・。
昔、某コピーライターがつくった名コピー。
『まず、総理から前線へ』
そのコピーライターは今ではこのコピーを否定しているというが、生みの親を離れて、この言葉は示唆に富む。
最初の犠牲者は、犠牲になるシステムを造った人たちであるべきだろう。
システムに従わざるをえない民が最初の犠牲者になる?
勘弁してほしい。
ニッポンはいつのまにか、普通の国になっていく。
責任はボクたちにある。
残念だが。
憲法には手をつけず、姑息な形で法案を通していく。
もちろん。
採決で。
数のチカラで。
民主主義なのだから。
NHKの「クローズアップ現代」は、今夜「FIFA 腐敗の構造」を放映してる。
今夜だ。
何故、今夜なのか?
FIFAの腐敗よりも大事なことがある。
腐敗は己の内にあるものだ。
歴史は夜つくられる。
FIFAの腐敗を追及している内に。
それもまた権力に都合がよいことだ。
腐敗の構造・・・。
NHKは、ブラックジョークがうまいのかもしれませんね。
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