チカラの論理
間接民主主義は選挙によって支えられている。
選挙に行きましょう。
選挙に行かない若者たちが多すぎる。
そうしてチカラを得た政権が、チカラの論理で“我”を通す。
支持率が下がることを織り込んで、採決に持ち込む。
ほとぼりが冷めれば、また選挙に行かない人々のチカラによって与党は安泰なのだ。
そのようなことを織り込んで、政治は続く。
チカラのない野党は、チカラをつけなくては。
でもそれ以上に、選挙に行く権利を持つ選挙民は、その権利を行使しなくては。
イタミを忘れるな。
横暴な数の論理で事を進める政権にNoというなら、それは選挙で。
選挙民ならば誰もが参加できる選挙で意思表示しよう。
今夜の答えは、ボクラの選挙の答え。
悔しいけれど、そういうことだ。
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コメント
僕らも若い頃は「選挙なんかでは世の中は変わらない」と思い投票には行かなかった。今になってみてようやく「選挙だけには世の中を変える可能性がある」と気がついた感じだ。いつの世にも支配者は被支配者をどうやって誤魔化そうか真剣に考えている。それに対抗するには「おかしい」と感じたことに真剣に向き合うこと。ですかね。
投稿: arriba | 2015年9月21日 (月) 19時45分
arribaさん コメント ありがとう。 外国の議会で約束してきたことは守らねば。それが為政者の行動原理であったのでしょう。それがよくみえてしまう性急さでチカラの論理で押し切ってしまった。でもこのチカラを与えたのは私たち(ボクではありませんが)有権者の投票行動であったのです。そのことを思い知った日。残念ながら そういうことですね。
投稿: チャーリー | 2015年9月23日 (水) 06時42分