« 六月の戦略 | トップページ | 愚かしさと気高さと »

2016年6月12日 (日)

男子の本懐について

ある都知事の去就について、ボクもまた興味深く見守ってきた。報道やワイドショーではほとんどコメディのような様相を呈してしまい、この人は政治漫談で生きていけるかもしれない。再起可能だと思うに至った。市井の人間から少しずれていて、哀しい程小さい。権力にしがみつく人間をこれ程わかりやすく示してくれる機会はあまりない。だからこそ、今回のことは青少年も含め有権者の意識を高めるために、どうぞ長い間TVで週刊誌で最後の最後まで報道して欲しいと思う。あのような大人にならないように。あのような政治家を選ばないように。

僕たちは学ばなくては。男子の本懐について。僕は興味本位ではなく、このような生き方をすべきではないと思う。以って他山の石としたい。だから注目する。人の引き際はどうあるべきか?それを考える。目先の利益を目指し未来を失ううことのないように。金の卵の童話を思い出す。                 
わかりやすい例え話として、いつか語り継がれることだろう。その時にその人物が政治家であったなら、僕らは敗れたことになる。
民主主義の国に僕らは生きている。
そのはずだ。     

|

« 六月の戦略 | トップページ | 愚かしさと気高さと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 六月の戦略 | トップページ | 愚かしさと気高さと »